本書の第5巻から修学旅行編が始まり、いなりとうか様のここまでの物語に一旦の区切りがつきます。巻末のあとがきマンガの中でも本書が『折り返し地点』と名言されています。

アニメの方もここで終了のようですが、修学旅行には行かずにオリジナル展開の流れになってきました。中核となるストーリーは原作に沿っていますが結末がどうなるかは最終回のお楽しみです。

というか、修学旅行編では丹波橋くんが一番かわいいと思うし、アニメでも観たいと思うのですよね。カットされてしまったから今期のアニメでは観られそうにないのが心残りです。

個人的にはすごく好きなアニメですし、2期へ続けられるような終わり方になって欲しいと思いますが、どうなることやらです。 

五巻のストーリー

出雲から帰ってきたいなりは、うか様が隠していた秘密を燈日から聞かされます。いなりには普通の生活を送って欲しいと考えていたうか様はいなりに余計な心配をかけたくなかったのです。

うか様に会いたいいなりでしたがうか様はなぜか出雲から帰ってきませんでした。

なかなかうか様に会えないいなりでしたが、学校では修学旅行の時期が訪れていました。いなりは仕方なしに修学旅行を楽しむことにします。

しかし楽しいはずの修学旅行の最中、いなりはクラスの女子から突如として嫌がらせを受けてしまいます。 そして、その嫌がらせはいなりの大事な友人たちにも及んでしまい、マルちゃんに暴力を振るった女子にいなりはついに自分を見失ってしまうのでした。

そのとき、いなりの中の神通力が暴走し……。

修学旅行

私は関東在住なので中学生のときの修学旅行は京都・奈良コースでした。神社やら何やら巡ったり、鹿にせんべいあげた記憶があります。ニィイイイイッ!

当然というか何というか、その年齢の頃に神社仏閣に興味があるでもなく、有名なところを訪れても「わー、すごーいなー」程度の感想でした。今なら違う目線で見られると思いますが、中学生の時分であれば誰しもそんなもんでしょう。

今の時代で中学生だったら、きっと何が何でも伏見稲荷大社に行きたがっただろうと思います。行き先決めるためだったら実行委員でも何でもやっちゃる! うか様に会いに! 今のちゅーがくせい、いいなぁー。いいなぁー。いいなぁー!

さておき、第5巻はいなりたちの修学旅行が描かれます。京都に住んでいるいなりたちの旅行先は東京で、浅草をうろついてたりするいなりたちが見られるわけです。

この旅行で丹波橋くんとの距離が少し縮まったりと楽しいことがいっぱいあるのですが、とんでもない事件も起きてしまいます。

第4巻の文化祭のとき、いなりは同学年の桃山さんから『丹波橋くん宛てのラブレター』を預かるという出来事がありました。丹波橋くんに直接渡す勇気がないから、最近丹波橋くんと仲の良いいなりにお願いをしてきたのです。

このとき、いなりはラブレターを丹波橋くんへ渡すことが出来ず、桃山さんに変身して丹波橋くんへ告白をしてしまいました。

結果としては桃山さんは丹波橋くんにふられてしまうことになります。しかし修学旅行の最中、『いなりが丹波橋くんへラブレターを渡していなかった』という事実が桃山さんに知られてしまいました。

そしてその事情を知った桃山さんの友人たちは怒り、いなりへ嫌がらせを始めたのです。コワイ!  

追い打ちをかけるように、怒っている桃山さんの友人たちはいなりだけに飽き足らずいなりの友達にも矛先を向け始めます。そしてマルちゃんに暴力が振るわれたとき、いなりは我を失い、神通力を大暴走させてしまいます。

親友のマルちゃんを傷つけられ、いなりはキレる。 いなり、こんこん、恋いろは。第5巻99ページより

親友のマルちゃんを傷つけられ、いなりはキレる。
いなり、こんこん、恋いろは。第5巻99ページより

どんくさくて、他人に迷惑かけてばかりだけど、元気で、明るく、いつも笑っているいなりからは想像が出来ない表情です。

自分の犯してしまった過ちに対する後悔も、友人に対して向けられた暴力も、色々なものがない交ぜになり、ついにいなりは自分を見失ってしまいました。

うか様との別れ

いなりが引き起こした神通力の大暴走は、土砂崩れという大災害を引き起こしてしまいます。しかし、高天原から全てを見ていた天照様の力によって最悪の事態は回避されました。なんだかんだで天照様はいなりたちを助けてくれるいい神様です。ツンデレ

周囲の光景が停止した世界で、いなりの前にミヤちゃんが現れて天照様からの伝言を伝えます。

天照様からの伝言をミヤちゃんから伝えられるいなり。 いなり、こんこん、恋いろは。第5巻108ページより

天照様からの伝言をミヤちゃんから伝えられるいなり。
いなり、こんこん、恋いろは。第5巻108ページより

いなりにとって神通力を返すということは、うか様と会えなくなることを意味します。

しかしそれは、神と人間の本来在るべき姿に戻るだけでしかありません。このことはこれまでの作中で何度も示されていました。けれど、うか様もいなりも互いに会えなくなってしまうことを拒み、この問題から目をそらしていた節があります。

そしてついにいなりの神通力は取り返しのつかない事態を引き起こしてしまったわけです。

第五巻の感想

『いなり、こんこん、恋いろは。』は、王道ラブコメと言える作品だと私は思っています。変にひねくれずに、物語はシンプルでストレートです。であればこそ、この第5巻の展開はあらかじめ予想出来るものだと思います。

いなりが神通力を失うこと、うか様と会えなくなること、うか様が本書の最後に抱いてしまった感情も、全て、私だけでなく多くの読者の方々も予想出来たと思います。しかし、そうであったとしても、こみ上げてくる感情に胸は溢れてしまいます。

わかっているんですよ。こういう展開になることくらい。こんな物語は何度だって見てきたんだもの。

それでも、分かってはいても涙が出てきてしまいます。この5巻まで積み上げてきた一つ一つの物語があるからこそ、その感動は一入に押し寄せてくるのです。

神通力を返したいなりには、もううか様は見えていない。ふれることもできない。 いなり、こんこん、恋いろは。第5巻160ページより

神通力を返したいなりには、もううか様は見えていない。ふれることもできない。
いなり、こんこん、恋いろは。第5巻160ページより

神通力を返したことでいなりは普通の人間へと戻りました。もちろん普通の人間には神であるうか様は見えません。そんないなりを寂しそうに見つめるうか様や、必死に手を伸ばそうとするいなりの姿には目頭が熱くなってしまいました。

特にこの次のコマでいなりとうか様の視線が合っていない描写が胸に刺さります。実際にはうか様のいない虚空をいなりは必死に探しているのです。じーんと胸にこみ上げてくるものがあります。涙が流れてしまいます。

しかし、この後の展開には涙を返せと言いたくなる!

さすがいなりちゃん様、コメディーの神様や!

相も変わらず笑わせてくるいなりの姿に、この物語の愛おしさを私は感じてしまいます。シリアスな展開にも温かな笑いやちょっとしたシーンが挟まれることで、気分が停滞することはありません。

以前にも書きましたが、『いなこん』はテンポがすごくいいマンガだと思います。シリアスやコメディーの割合だとか、読んでいるときの感情の起伏とか、それは読みやすさにつながり面白さや心地よさへと変わっていきます。どこか安心して読めるマンガだと思っています。

また、本書の最後ではうか様の気持ちが垣間見えるわけですが、この展開があるからこその王道でしょう。いなりとうか様が元の関係に戻ったことでこれからの物語がどう動いていくのか、作者のあとがきによると『いなり、こんこん、恋いろは。』の物語も折り返し地点とのことですから後半が楽しみになってきます。

おまけマンガ 第零話

本書の第5巻には巻末に第零話が収録されています。

まだ幼いいなりと燈日が伊奈里神社で遊んでいるときに燈日がはぐれて迷子になり、それをうか様が助け出すというストーリーです。アニメにもこのエピソードが一部使われました。

以下、このおまけマンガについてちょっと感想というか妄想の駄文です。繰り返します。妄想です。

個人的にこのおまけマンガで一番気になるのが、語り部であるいなりが一体いつこの話を、一体誰にしていたのかというところです。

このエピソードは(いなりと思われる)語り部のセリフで始まり、それは思い出話をするかのような出だしになっています。

これは私とうか様が友達になる
何年か前の出来事です

出典:『いなり、こんこん、恋いろは。 5』p.175

そしてエピソードの最後にも語り部のセリフがあります。

お稲荷さんは
案外すぐそばにいはるんかもしれません

出典:『いなり、こんこん、恋いろは。 5』p.195

普通に考えればいなりのモノローグ的な物語と捉えるのが妥当でしょう。それで十分だと思います。

ただ私は、いなりが「お稲荷さん」という単語を使っているのがちょっと気になります。私の記憶違いでなければ、確かここまでの物語でいなりはうか様を「お稲荷さん」と呼んだことはなかったはずです。いつもは「うか様」か「神様」と呼んでいます。ちなみに燈日は「お前」「こいつ」「稲荷神(いなりのかみ)」と呼び、同じく「お稲荷さん」とは呼んでいません。

作中で「お稲荷さん」と呼んでいるキャラを探してみると、第2巻でいなりと燈日のお母さんが「お稲荷さん」という単語を使っています。……お母さん!?

実はお母さんには未だ語られていないすごい秘密があるのだとしたら、このエピソードの語り部も実はお母さんと考えることも出来るかもしれませんが、まあそれはないでしょう。いや、実はそれが燈日がうか様を見ることが出来る理由だったりして!

さておき、私はこのエピソードの語り部はいなりであると思っています。その上で、いなりがこれを語っているのは本編の時間軸よりもずっと後ではないかと妄想しています。なぜなら「お稲荷さん」と改まったようなセリフを言ういなりからは、知性のある大人びたイメージが浮かんでくるからです。

また、本人のモノローグであれば「神様」と呼ぶと思うのですが、「お稲荷さん」と呼んでいることからこのエピソードには聞き手がいるのではないかとも想像します。それにうか様をはじめ、とし様ミヤちゃん天照様などなど、わんさか神様に出会っているいなりがわざわざモノローグで「神様はすぐそばにいるのかも」なんて言うとは思えません。

例えば、いなりが神社を訪れた誰かに対して、「昔、私の兄が神社で迷子になったとき、不思議な女性が兄を見つけてくれました。私はその人が神様ではないかと思っています。お稲荷さんは案外すぐそばにいるのかもしれません。私たちをいつも見守ってくれています。」などと話しているところを想像してしまうのです。そう考えれば物語冒頭のセリフはいなり自身のモノローグであり、最後はこの話を聞かせた誰かへの言葉なのかもしれません。

大人になったいなりは伊奈里神社で働くようになり、神社を訪れた人にお稲荷さんのことを訪ねられ自分の体験談を語った場面とかどうでしょうか。そして会話も終わり、いなりがふと振り向くとそこには笑顔のうか様が立っていて、いなりは笑顔で手を振り……

ああ、この妄想だけでご飯三杯はいけるネ!!!