世間ではSTAP細胞を巡る一連の騒動が話題になっています。

理研は捏造を認定したようですが小保方さんは争う姿勢のようです。どこまで泥沼化していくのか見物ではありますが、世間に与えた影響は計り知れず本当に困った人たちです。

しかし、私にとってはSTAP細胞がどうのこうのよりも、この話題に便乗し『ちいさなちいさな王様』という本が注目されたことがすごく気になっています。小保方さんが中学生の頃に感銘を受けた一冊として紹介されるや否や、 マスコミはこぞって本書を囃し立て、出版社も便乗して特製の宣伝帯までつけて増刷する有様です。

 → 小保方晴子さんの影響で「ちいさなちいさな王様」がバカ売れ中!中学2年生のときに読書感想文で最優秀賞を受賞した本 | 面白ニュース!netgeek

 → 小保方さんフィーバーやむ気配なし 中学時代の読書感想文本「ちいさなちいさな王様」Amazon1位に : J-CASTニュース

まあ、ここまではよくある光景ですのでまたつまらないことやってるなぁと思っていたのですが、そこにきての捏造騒動です。

私が本書『ちいさなちいさな王様』を読んだのは高校生の頃だったと思います。本屋さんを巡っているうちに見つけ、ミヒャエル・ゾーヴァの描く挿絵に惹かれて購入しました。ページ数は少ない本ですので気軽に読めるのではないかと思ったのも購入の理由だった記憶があります。

しかし、実際に読んでみると少ないページ数ながらも色々と考えさせられ、心揺さぶられる本でした。『夢中になって繰り返し貪り読んだ』というほどではありませんでしたが、不思議と心に残り、ストーリーは今も鮮明に覚えています。少なくとも私にとっては読んで良かったと思える本でしたし、今も本棚に置いてあります。

それが今やアホみたいな宣伝文句の帯をつけられて本屋さんに大量に並べられています。そして捏造が問題になったそのときに、この本に向けられる世間の目線も大きく変わってしまったことでしょう。出版社としては大量に売れてうれしいのかもしれませんが、一愛読者としては悔しいことこの上ないです。

数日前も、近くの本屋さんに行くと相変わらずな宣伝帯をつけて本書が置いてありました。とっとと撤去すればいいのに。

本がかわいそうだ。

ちいさなちいさな王様ってどんな本?

本書は1993年にアクセル・ハッケ(Axel Hacke)によって書かれた小説です。

ハッケは1956年にドイツで生まれ、政治記者をしながら文筆活動をしていました。そして本作『ちいさなちいさな王様(原題:Der kleine Koenig Dezember 英訳:Little King December)』は新聞に連載されていた作品で、後に書籍として販売されました。

挿絵はミヒャエル・ゾーヴァ(Michael Sowa)が担当し、哲学的な内容と幻想的なイラストが相まって、高い評価を受けている作品です。

日本においては1996年に那須田淳と木本栄によって翻訳され、ベストセラーとなりました。

本書の著者『アクセル・ハッケ(Axel Hacke)』 Wikipediaより http://de.wikipedia.org/wiki/Axel_Hacke

本書の著者『アクセル・ハッケ(Axel Hacke)』
Wikipediaより
http://de.wikipedia.org/wiki/Axel_Hacke

 → Axel Hacke – Wikipedia

 → ミヒャエル・ゾーヴァ – Wikipedia

ストーリー

ある日、ふらりと
僕の部屋にあらわれた、
僕の人差し指サイズの
気まぐれな小さな王様。

出典:『ちいさなちいさな王様』 カバーより

ある日のこと、主人公のの部屋にちいさなちいさな王様が現れました。王様は十二月王二世と名乗り、太った体に深紅のビロードのマントを着ていました。王様は僕の部屋の本棚の隙間に暮らしていて、気まぐれに僕の前にやってきます。そして、僕にこの世界のことを教えて欲しいと命ずるのでした。

僕たち人間は年を重ねるにつれて色々なことが出来るようになっていくのが普通です。生まれたときには体は小さく、文字の書き方や数の計算など色々なことを学びながら体が大きくなり、世界は広がっていきます。

一方で、王様は生まれたときには始めから全てを持っていて、年を重ねるごとに体は小さくなり知識も失われていきます。つまり、王様は僕らのように子供から大人へと成長するのではなく、大人から子供へと成長をしていくのだと言うのです。

僕は王様と出会ったことで不思議な体験をしていきます。

王様の家にある夢の詰まった箱の話、通勤途中に出会える竜の話、夜空に浮かぶちいさな星の話、暖炉のそばに住んでいる偉大な絵持ちの話、色々な出来事を通じて僕と王様は互いのことを知っていくのです。

これは僕と王様のちょっと不思議な物語。

僕のコーヒーに砂糖を次々に放り込むちいさな王様。 挿絵はミヒャエル・ゾーヴァ。 『ちいさなちいさな王様』 45ページより

僕のコーヒーに砂糖を次々に放り込むちいさな王様。
挿絵はミヒャエル・ゾーヴァ。
『ちいさなちいさな王様』 45ページより

感想

本書は一種の思考実験のような内容になっています。物語に登場するのはちいさな王様の二人がメインで、彼ら二人の会話を通じて様々な想像力を働かせてストーリーは展開していきます。そして本書の魅力であり物語の中核をなすのが、大人から子供へと成長していくちいさな王様の存在です。

王様にとっては年を重ねることで体も知識も小さくなるため、小さくなることは素晴らしいものだと考えています。一方で僕たち人間は年を重ねることで大きくなっていきます。

王様は『大きくなることは素晴らしいことなのだろうか?』と疑問を抱き、本当は人間も大きくなっているのではなく、小さくなっているのではないかと考えます。

 「おまえの話が、事実だとすれば……。おまえたちは、はじめにすべての可能性を与えられているのに、毎日、それが少しずつ奪われて縮んでいくのだ。それに、幼いうちは、おまえたちは、知っていることが少ないかわりに、想像の世界がやたら大きいのではなかったかね? どうしてランプに明かりがつくのか、テレビの画面に映像がうつるのか、理屈がわからないから、想像しなくてはならなかった。それに、木の根っこの下では小人たちがどんなふうに暮らしているのかとか、巨人の手のひらの上に立ったらどんな気分だろうか、などということも想像していたのだろう。だが、やがて、もっと年とった者たちが、ランプやテレビの仕組みについて教えてくれる。それから小人も、巨人も、実際にはいないことを知ってしまう。おまえたちの想像の世界はどんどん小さくなっていき、知識はますますふくれあがっていく。そうじゃないのかね?」

出典:『ちいさなちいさな王様』p.15,16

僕たち人間は年を重ねることで様々な知識を得て成長をしますが、その一方で子供の頃に持っていた夢や想像力はどんどんと小さくなってしまいます。大人から子供へと成長する王様にとって、想像力や夢といったものは年を重ねるごとに大きくなっていく何よりも素晴らしいものです。ゆえに、想像力や夢がだんだんと小さくなっていく人間の世界はあまり素敵ではないと王様は考えるのです。

この物語では僕が『現実や大人』を体現しており、逆に、王様が『夢や子供』を体現している構成になっています。彼ら二人の会話を通じて、『大人と子供』や『現実と夢』といった、通常では相容れないと考えられる二つの物事が折り重なって物語は紡がれていきます。

本書『ちいさなちいさな王様』は全部で100ページちょっとの短い物語です。しかし、読後感は決してちいさなものではなく、心にずしりとちいさな王様の存在が残って離れません。

その理由の一つに挙げられるのが、現実と夢の対比をテーマに掲げながらもその境界が極めて曖昧なところにあると私は思っています。

ちいさな王様の存在は極めて想像的で夢の象徴でありながら、その描写は精緻で現実的です。着ている服の特徴や体格、食事の仕方や家の中の小物まで、全てが『ちいさい』という一点を除けばどれも現実的で、本当にそこに王様がいるような情景が目の前に広がります。

一方で主人公の僕は極めて現実的な大人として登場しますが、王様と過ごすうちに不思議な出来事を次々と体験していくことで現実と夢の境界があやふやになってきます。読者としても、一体どこまでが実際に起きた出来事で、どこからが想像された世界なのかが分からなくなってきてしまうのではないでしょうか。

この物語を読んで私が感じたことは、子供と大人、あるいは現実と想像といったものの一体どこに境界線があるのだろうか、そしてどこに違いがあるのだろうかというものでした。

小保方さんは『夢を捨ててまで大人になる意味の答え』は『大人になる為に、子供時代や夢がある』とこの本を読んで考えたそうです。確かにその通りではあるのでしょう。想像や夢なくして、現実などあり得ません。しかし、それは想像や夢を捨てることで現実を知ることとは全く別の次元の話だと私は思っています。

本書において、主人公の僕は現実の世界を生きていましたが、ちいさな王様と出会ったことで様々な想像や夢の世界を見ていくことになります。そして僕が出会う想像の世界は、決して現実世界と相容れないものではないと私には思われるのです。

主人公の僕が大人だからといって想像や夢を持てないのかというとそうではなく、ちいさな王様の影響で彼自身が想像や夢を楽しむことが出来るようになっていきます。大人になり現実を見ることが当たり前になっていると、想像を楽しむことや夢を見ることを忘れがちになってしまうのかもしれませんが、人は決してそれらの能力を失ったわけではありません。それは誰もが子供時代を経験しているのだから当たり前のことであり、いつでも取り戻すことは出来るのです。

本書は子供時代の想像や夢を喚起させる内容であることから、『大人の絵本』と紹介されることもあります。しかしながら、では子供(ちいさな王様)と大人(僕)の違い、あるいは夢(ちいさな王様)と現実(僕)の違いはどこにあるのだろうかと考えると、本書にその答えはないように思われます。

一見するとどちらも正反対の全く違うものと考えがちですが、案外その境界は曖昧で違いが見えてきません。本質としてはどちらも同じものなのではないでしょうか、私は本書を読んでそのような感想を持ったのです。

この本を私が読んだのは子供と大人の中間にいるような高校生のときでした。その年代という影響もあるでしょうが、本書を読んだことでますます現実や夢の違いが分からなくなった記憶があります。その頃からか、私は現実や夢というものを分け隔て無く考えるようになりました。

子供だから想像力や夢を持ちなさい、大人だから現実を見据えなさい、そういう言葉には何の価値も共感も見いだせなくなったのです。結局のところ、どちらもとても大切なもので欠かすことの出来ない共通のものなのだと、私は思うのです。