ニンジャスレイヤーは面白い小説です。

それは内容が素晴らしく面白い、という意味だけではありません。物語の誕生した経緯やTwitterを活用した連載、ファンによるリアルタイム実況や交流、そして原作者や翻訳チームの愉快なコメントや企画など、作品をとりまく全てに楽しめる要素が散りばめられた一つの娯楽作品と呼べる面白さです。

通常、書籍に関する著作権は作者や翻訳者あるいは出版・編集社の名義が使われています。しかし、ニンジャスレイヤーという作品の著作権保有者は『Ninj@ Entertainment』という名称の団体?です。

Ninj@ Entertainment

この作品にこれほどふさわしい名称はないでしょう。ニンジャの……娯楽!

『Entertainment』は娯楽という意味ですが、娯楽とは『人を楽しませるもの』という意味です。小説の中身だけにとどまらず、作品をとりまく全てに面白さが詰まった作品だと私は思っています。すごく楽しい気分にさせてくれるのです。

ニンジャスレイヤーの第1部『ネオサイタマ炎上』もいよいよラスト!
その最後を飾る書籍第4巻、その紹介と感想を書いていくとしましょう。

ノー・カラテ、ノー・ニンジャ

ノー・カラテ、ノー・ニンジャ』とは、ニンジャスレイヤーという作品における重要な哲学的テーマの一つです。

この言葉の意味するところは非常にシンプルです。『カラテなくして、ニンジャにあらず』、カラテこそが全ての基本であるという意味です。

作中では体を機械化したり高性能の武器を所持する者や、超常現象を引き起こすようなジツ(術)を駆使して戦うニンジャなど、強大な力を持つ敵が主人公たちの壁として立ちはだかります。彼らとの血がたぎる渾身の戦闘シーンはニンジャスレイヤーの大きな魅力です。

しかしニンジャスレイヤーの世界において、真の強さを誇る力というものは全てカラテに集約されます。

カラテ』は私たちの知る『空手』とはやや異なります。いわゆる体術全般のことをカラテと称し、身体能力の高さを見極める概念の一つです。

原作者の一人であるブラッドレー・ボンド(Bradley Bond)は、2011年に行われた第1回エピソード人気投票の結果発表において以下のようなコメントを寄せています。第1位を獲得した『ラスト・ガール・スタンディング』の話題から『ノー・カラテ、ノー・ニンジャ』について語ったものです。

 → 第1回エピソード人気投票 Togetter

人間みずからが持つ、根源的な克服の力

その象徴こそがカラテであるとボンドは語ります。

注目すべきは『身体能力を純粋に高めた存在は精神的存在である』という解釈ではないでしょうか。

カラテとは身体能力の高さを描写するための概念です。しかしながら、カラテとは精神的存在をも意味しており、実はそちらの方がより根源的なものであるとボンドは言っているのです。

これはニンジャスレイヤーという世界観を支える大きなテーマです。

と言うのも、作中の世界観において身体能力を高めることは実に簡単なことです。身体の機械化や高性能の武器は言うに及ばず、ニンジャになれば常人よりはるかに強い体を手に入れる事が出来ます。しかし、同時に精神的な能力をも純粋に高めなければ、カラテと呼ぶことは出来ないのです。

当たり前のように路地裏では暴力が転がり全ては機械化され数値されていく世界の中、真の強者たるものは精神的存在であるというのは実に象徴的です。

ニンジャスレイヤーはその描写の手法によりギャグめいて見えることが多々あります。多々あります。

しかし、真の強者同士の戦いにおいては、しばしばギャグの要素はシンプルに研ぎ澄まされた一種の様式美へと還元され、戦闘における身体能力の優劣は精神的な戦いへと次元を昇り始めます。

これが、本当にたまらなく面白くて仕方がないのです。

本書第4巻は第1部のクライマックスに相応しい圧倒的な戦闘シーンが連続します。

真の強者同士が戦うカラテは美しいものです。それは芸術や感傷とは違い、根源的な力の発露に伴う強い精神的な世界を垣間見ることが出来るからではないでしょうか。原作者の言葉を見るに、私はそう感じるのです。

気がつけば本を読む手は震え、興奮は抑えきれず、血潮たぎる戦闘の行く末に目が離せないのでした。

第4巻の掲載エピソード

第4巻には以下のエピソードが掲載されています。

リンク先は全て『ニンジャスレイヤー Wiki*』の該当エピソードのページです。

マシン・オブ・ヴェンジェンス (Machine of Vengeance)

デッドムーン・オン・ザ・レッドスカイ (Deadmoon on the Red Sky)

バイオテック・イズ・チュパカブラ (Biotech is Chupacabra)

コロス・オブリヴィオン (Koros Oblivion)(書籍限定)

トレジャー・エヴリー・ミーティング (Treasure Every Meeting)(書籍限定)

ネオサイタマ・イン・フレイム (Neo-Saitama in Flames)

今回はこの中から『マシン・オブ・ヴェンジェンス』と『ネオサイタマ・イン・フレイム』について紹介と感想を書こうと思います。

マシン・オブ・ヴェンジェンス (Machine of Vengeance)

マシン・オブ・ヴェンジェンス』は初めてニンジャスレイヤーを読むという方におすすめ出来るエピソードの一つです。見所はたくさんありますが、やはりこのエピソードの一番の見所は主人公ニンジャスレイヤーの二面性と悪魔的な強さの描写でしょう。

主人公のフジキド・ケンジは妻子の仇をとるため、『ニンジャ殺すべし!』と憎悪をたぎらせて復讐の戦いに身を投じました。そんな彼のニューロンの中にはナラク・ニンジャという邪悪なニンジャが宿っています。

ナラクは邪悪な意志を持ち、フジキドの意志と肉体を乗っ取ることがあります。そのとき、ニンジャスレイヤーはナラクという別人格に支配されて殺戮の限りを尽くすのです。

ナラクとはいかなる存在であるのかは物語の核心部分の一つでありストーリーが進むごとに少しずつ解明されていきます。この『マシン・オブ・ヴェンジェンス』はナラクのおぞましさの一端を垣間見る事が出来るエピソードなのです。

そしてこのエピソードにおける戦闘シーンは、まさに『ノー・カラテ、ノー・ニンジャ』そのものです。特に余湖先生によるコミカライズは迫力ある画風も相まって、文章による描写以上に素晴らしい戦闘シーンが描かれています。

コミカライズの第1話に選ばれるだけあって、初めてニンジャスレイヤーを読む方向けのエピソードとなっています。

 → ニンジャスレイヤー Wiki* 『マシン・オブ・ヴェンジェンス』

 → コミカライズ 余湖先生  『マシン・オブ・ヴェンジェンス』

さらにニンジャスレイヤーの英語版公式サイトでは英語で書かれた原作版が掲載されています。

初期の原作は著作権やプリンター故障の影響でまず手に入らない貴重なもので、紆余曲折あった後に初期の原作からさらに発展させたものが現在翻訳されているニンジャスレイヤーです。

その原作は直接翻訳チームに渡されていて英語での書籍化はされていません。その一部がネットで公開されたわけです。

英語に自信のある方は是非読んでみて、日本語翻訳との違いを楽しんでみてはいかがでしょうか。

 → 英語原作版 『マシン・オブ・ヴェンジェンス』 

ネオサイタマ・イン・フレイム (Neo-Saitama in Flames)

第1部『ネオサイタマ炎上』のクライマックスを飾るのがこの『ネオサイタマ・イン・フレイム』です。

このエピソードは以下の4編のエピソードで構成されています。第4巻の半分を占めるほどの大長編であり、そのボリュームは今までの比ではありません。まさに第1部を締めくくるに相応しい堂々たるエピソードです。

 → ニンジャスレイヤー Wiki* 『ネオサイタマ・イン・フレイム』

 ◆ライク・ア・ブラッドアロー・ストレイト (Like A Bloodarrow Straight)

 ◆ダークニンジャ・リターンズ (Darkninja Returns)

 ◆アンド・ユーウィル・ノウ・ヒム・バイ・ザ・トレイル・オブ・ニンジャ (…And You Will Know Him by the Trail of Ninja)

 ◆ダークダスク・ダーカードーン (Dark Dusk / Darker Dawn)

このエピソードの見所は何と言っても連戦に次ぐ連戦、ただひたすらに続く戦闘シーンの数々に他なりません。

ナンシーを誘拐され時間の猶予も残されていないニンジャスレイヤー、単独でソウカイヤの本拠地に突入し宿敵ラオモト・カンを目指します。ニンジャスレイヤーの復讐劇がどのような結末を迎えるのか、長いエピソードですが是非読んでみてください。

最終決戦のシーンではあまりの熱い戦いに身震いが止まりませんでした。

タイトルにもあるように、炎上するネオサイタマの熱が読者にも伝わってくるような熱い展開に、興奮を抑えきれずにいたのです。

このエピソードをもってニンジャスレイヤーの復讐劇には一旦の幕が閉じられます。

しかし、それは終わりであると同時に始まりでもありました。

ここより、ニンジャスレイヤーの第2部『キョート殺伐都市』が幕を開けるのです。

第1部『ネオサイタマ炎上』を読み終えて

ニンジャスレイヤーは面白い小説です。

それは外国人から見た奇妙な日本が描かれていたり、忍殺語なるバカバカしい文体からなるネタ小説としての地位を築いたからでしょう。

ニンジャスレイヤーを読み始めた頃、私はそんなことを考えていました。ネットで人気が出てきたのもネタ小説として皆がいじりだしたからなのだと、私は思っていました。まあ、その側面があることは否定しませんが、本当の面白さはもっと別のところにあったのです。

面白かった。本当に面白かった!

びっくりした。なんだこの面白さは!

一見どころか腕を組んでよ~くじ~っくりと眺めてみても、ネタ小説以外の何物でもない設定や世界観なのに、実際に読み進めてみるとあまりの緻密さと設定の奥深さに驚かされます。 

さらに作品ジャンルが本当に広く、サイバーパンクやニンジャはもちろんのこと、現代の社会問題から神話におとぎ話、学生生活に社会人の悲哀、恋愛失恋革命などなど、本当にありとあらゆるジャンルを含みながら進展するストーリーには恐ろしさすら感じます。そして真に恐るべきは、それらが娯楽として成立していることなのです。

浅はかな小説に思えても実際のところ作者の知見は相当なものだと思います。一体どうやったらこんな物語を書くことが出来るのか、ちょっと真面目に想像が出来ません。

そしてもっと想像出来ないのは、この作品を見事に翻訳しニンジャスレイヤーの世界を確立させた翻訳チームの方々のことです。彼らがどういった人々なのかは多くの謎に包まれていますが、一つ確かなことは、『Ninj@ Entertainment』の名の下で本当に面白い最高の娯楽作品を提供し続けているという事実です。

ニンジャスレイヤーは小説作品という枠を飛び越え娯楽としての『ニンジャスレイヤー』という、もはや一つのジャンルを作り上げているのだと私は思います。第1部を読み終えた時点でもこの作品の魅力にすっかりはまってしまい、続きが気になって気になって仕方がないのでした。

しかしニンジャスレイヤーの物語はまだまだ序章にすぎません。

第2部、第3部へと物語は走り出し、その世界観がどこまで広がっていくのか未だその果ては見えてきません。

 

私もその行く末を見届けるために走り出したいと思っているのです。

いや、ほんと、面白いんだって!

最後に

第4巻の巻末には、『ニンジャについて』という解説文章が掲載されています。これはTwitterでも公開されたもので、作中に登場するマッドサイエンティストの『リー・アラキ』の研究手記という体裁をとっています。この解説文章はかなり示唆に富んだ内容です。

 → Togetter ニンジャについて まとめ

ニンジャスレイヤーという物語における究極の疑問は、『ニンジャとは何なのか?』ということに他なりません。

ここまでの物語でもいくつかヒントは提示されているものの依然として真実は見えてきません。

その真実を知るには第2部『キョート殺伐都市』、第3部『不滅のニンジャソウル』へと読み進めることが必要です。特に第2部ではかなり踏み込んだところへと物語は展開するため、ニンジャスレイヤーの世界観が急速に広がる光景が見えてくることでしょう。