私は星野道夫の本を通じてアラスカという世界を知りました。

しかし彼が亡くなった1996年を境に、私の中にあるアラスカの時間は止まっています。彼の著作は何度も読み、また彼に関わる人々の著作も読んではいましたが、それらはいずれもすでに終わってしまった物語ばかりです。彼の死後もアラスカは在り続けたはずです。しかし、私はあまり積極的にはその世界を覗こうとはしませんでした。

2000年代、及び2010年代におけるアラスカの物語を私はほとんど知りません。他にやるべき事があったというのも理由の一つですが、やはり星野道夫に比類する語り部を見つけられていないことが大きいです。星野道夫という語り部を欠いた今、意識的に行動を起こさねばアラスカという世界はやはり日本からは遠すぎるのでしょうか。日々の忙しい生活の中、その広大な世界に触れる機会を私は見つけることが出来ないでいたのです。

そういった意味で、本書【ロミオと呼ばれたオオカミ】は私にとっては星野道夫を想起させるものであり、新たな語り部と共に2000年代のアラスカへと、そして未来のアラスカへと旅立つ本でした。懐かしさを感じると同時に彼がそこにいない寂しさと、変わらぬ自然の美しさに安堵します。そして、変わらぬ人間の愚かさには吐き気を覚えます。

まだ2015年も4月ですが、本書は私の中で2015年に読んだベスト本に数えられる一冊です。著者の入念な調査や当事者でありながらも努めて冷静で客観的な視点には研究者として、また作家としての確かな技量を感じました。文章は読みやすく、写真には力があります。著者がこの一冊に込めた大切な想いがひしひしと感じられました。

それでは【ロミオと呼ばれたオオカミ】の感想や紹介をこれから書いていこうと思います。日本からは遠い世界、アラスカの都市ジュノーに一頭の野生のオオカミが現れたところから物語は始まります……。

あらすじ

2003年12月、著者のニック・ジャンズはアラスカの州都ジュノーの郊外で一頭のオオカミと出会います。

広大な原野が広がるアラスカには野生のオオカミが多数生息しています。しかし都市部でその姿を見ることは希であり、一時の幸運にニックは胸を躍らせました。ところが驚くことにオオカミはその後も姿を現し続けるのでした。

全身を黒い毛に覆われた雄のオオカミはなぜか多くの人間が暮らすジュノーの近郊に住み着いてしまいます。そしてニックの飼い犬、ラブラドールのダコタが気に入った様子で、家のすぐ近くにまで姿を見せるようになりました。ニックの妻シェリーはその様子をシェイクスピアになぞらえ、黒いオオカミをロミオと呼び始めることにします。

ロミオは不思議なオオカミでした。人間や犬を怖れず、むしろ遊び相手として自ら近寄ってきたのです。いつしかロミオの名は住人の間に広まり、野生のオオカミがいる風景が当たり前となっていきました。

しかし、相手は野生の肉食獣です。取り返しの付かない事態はいつ起きてもおかしくはありませんでした。住人たちの間では親ロミオ派と対オオカミ派の意見がぶつかり合い、やがては新聞社やアラスカ州漁業狩猟局や連邦森林局までをも巻き込む騒動へと発展していきます……。

アラスカの都市ジュノーに現れた一頭のオオカミ

本書は2003年にロミオが現れてから亡くなる2009年までの6年間、そしてその後の町に起こった出来事を追ったノンフィクションです。ロミオが亡くなってなお、彼が町の住人に与えた影響には計り知れないものがありました。たった一頭の野生のオオカミが町を変えてしまったのです。

著者は一連の出来事を追いながらオオカミの生態や歴史、またアラスカの歴史や政治的諸問題、中でも野生動物に関する環境問題などを取り上げていきます。描かれているテーマは多岐に渡り専門的な内容も扱われますが、分かりやすく書かれているのですごく読みやすい内容となっています。ロミオに関する物語というだけではなく、アラスカに関する良質な読み物と言えるでしょう。中には星野道夫の著書にも描かれている人物や土地も登場し、何だか懐かしい気分で私は読むことが出来ました。

ロミオを中心とした様々な話題も大きな見所ですが、やはり野生のオオカミという神秘的な存在への驚きや憧れにこそ目が奪われてしまいます。ネットで検索すればいくつかロミオに関する記事や動画が見つかりますので、少しだけご紹介したいと思います。

youtubeに投稿されたロミオの動画です。カメラマンのすぐ近くまで寄ってきてペットの犬たちと戯れている姿が見て取れます。すごくリラックスしている様子で、とても野生のオオカミとは思えません。

そして次のリンクはナショナルジオグラフィックに掲載された著者のインタビュー記事です。いくつか美麗な写真も掲載されていますので是非ご覧になってみてください。

How a Wolf Named Romeo Won Hearts in an Alaska Suburb – National Geographic

ペットの犬たちよりも二回りは大きい野生のオオカミが今にも手が届きそうな距離を歩いています。ロミオはその体躯と牙をもってすれば成人男性すら易々と噛み殺せる猛獣です。まるでおとぎ話のような光景ですが、これが現実にアラスカの都市ジュノーで起こったことでした。

読んだ感想

最初から最後まで夢中になって読み進め、私はまるで遠い神話の世界を覗いているかのような気分になりました。遥か遠い昔、この広い世界のどこかで、眼前に広がる光景と同じものがあったはずなのです。やがてオオカミは人と暮らすようになり、犬となって今も人々の隣で暮らしています。ロミオの姿には神話の世界からやってきたかのような神々しさすら漂います。

212ページに一枚の写真が掲載されています。湖面の上を小走りで進むロミオの姿がそこにあり、あまりにも幻想的な光景に私はしばし目を奪われてしまいました。同じ写真が下記のリンク先のサイトに掲載されているので、是非見てみてください。

→ There Was Once a Wolf Who Loved Too Much. And What Happened to Him Was a Crime. slide8

 そしてついに、ロミオは一歩前に踏み出した。水の中ではなく、その上に。僕が見守るなか、彼は湖を小走りで横切っていく。一歩ごとに銀白色の水煙が立ちのぼり、彼が通った跡を記録するように湖面にV字型の波紋が広がった。反対岸でロミオは立ち止まり、影の中にもっと暗い影をつくると、夜の闇に溶け込んだ。

 オオカミが夕暮れの湖面を散策する姿は、まるで聖書の中の奇跡の物語のようだ。

出典:【ロミオと呼ばれたオオカミ】p.213より

種明かしをすれば、氷で覆われた湖の上に雨が降り、その上をロミオが歩いているのです。それが端から見れば湖の水面を歩く姿に映るというわけです。

種さえ分かれば何と言うことのない光景ですが、私はそこに神話の世界を見ずにはいられません。まるで魔法にかけられたかのような幻想的な光景に、理屈以上の何かを感じずにはいられないのです。そこではロミオは一つの個として完成されています。何人たりとも触れることの許されない、神聖な空間がそこにはあります。

ロミオは6年もの長い歳月を人間のそばで生き続けました。ですが、ここはアラスカです。過酷な自然環境の中、生と死が常に同じ意味を持つ世界です。

私はそのことを星野道夫の本を通じて知っています。明日生きるということは、明日死ぬということと何ら変わりはありません。それは人も動物も全てのものが平等に与えられた宿命です。ロミオとて、いつ死んでもおかしくはない環境に生きていました。ましてや大勢の人間が生息している都市部などもっての外です。

彼の存在を受け入れる住人がいる一方で、彼のことを疎ましく思う住人も多くいました。また、誤った知識で野生動物に接する人々や、自分勝手な行動を起こす人々は後を絶ちません。やがて訪れるであろうロミオの死を私は確実に予感していました。それは誰もが感じることと思います。ロミオの美しい生が描かれるほどに、彼の死も色濃く漂い始めるのです。

そして、その結末は想像しうるものの中で最も最悪な形で訪れます。

結末は是非ご自分で読んでみてください。あまりにも衝撃的な内容で、ページをめくるたびに私は胸が痛くなり、気分すら悪くなっていく思いでした。

著者のニック・ジャンズも同じ思いを抱いています。彼は当事者の一人であり、感情的に流されてもおかしくはない立場の人間でしたが、文章からは極めて冷静で客観的な姿勢が見て取れます。そこに私が本書を評価する点があります。ロミオを巡る一連の物語を単なる幻想的で感動的なおとぎ話としてではなく、何が現実的に起きていたのかをきめ細やかな調査や証言の数々から彼は明瞭に、そして生き生きと描き出して見せました。その技量には語り部としての彼の素晴らしさが溢れています。

ロミオと呼ばれた一頭のオオカミが我々人間に残したものは一体何なのでしょうか。今、ジュノーの町ではロミオを語り継ぐ動きがあるようです。神話の世界からやってきたかのような一頭のオオカミが、今まさに神話になっていく過程を歩んでいます。10年後、100年後、1000年後、果たしてロミオの物語はその時でも語られ続けているのでしょうか。

私はこの一冊の本と共に、ロミオはいつまでも生き続けていくのだろうと思っています。この一冊はまさに名著です。神話など遠い過去に投げ捨てられた今の時代、これだけの物語に出会えることはなかなかありません。間違いなく、2015年の個人的ベストブックスとなる一冊でしょう。いや、私は生涯、この物語を忘れることはないでしょう。