1417年の1月、南ドイツのとある修道院の図書館で一人の男が一冊の本を手にしました。

男の名前はポッジョ・ブラッチョリーニ。

職業、ブックハンター。

彼が発見した本は『T. LUCRETI CARI DE RERUM NATURA』、ルクレティウスによる『物の本質について』という本でした。

1000年以上の時を経て歴史の表舞台へと蘇った一冊の本は、その後の人類史において重要な役割を果たし、近現代を作り上げる原動力となりました。

そんな一冊の本にまつわる物語。

忙しいGWも終わった頃、本屋を散歩していたら本書を見つけました。タイトルに心惹かれて手に取ったのですが、帯に書かれた本文の抜粋がこれまた興味をそそる素晴らしい一文だったのです。

これは、世界がいかにして新たな方向へ逸脱したかの物語である。変化を引き起こしたのは革命でも、迫り来る軍勢でも、未知の大陸への上陸でもなかった。(略)本書が扱う画期的な変化は、そう簡単に劇的なイメージとは結びつかない。およそ六〇〇年前にそれが起こったとき、決定的瞬間は音もなく、ほとんど目に見えず、遠く離れた場所の壁の向こうに隠されていた。英雄的行為も、大事件を後世に伝えようと熱心に記録をとる観察者もなく、すべてが完全に変わってしまったことを示す兆候は天にも地にも見られなかった。背が低く、柔和で、きわめて用心深い三〇代後半の男が、ある日、図書館の書棚にあったひじょうに古い写本を手にとり、自分の発見したものを見て興奮し、それを書き写すよう誰かに命じた。それだけである。だが、それでじゅうぶんだった。

出典:『一四一七年、その一冊がすべてを変えた』帯

1417年のそのとき、世界に一体何が起こったのか。本書にすごく興味が沸き、思わず購入しました。

作者はスティーヴン・グリーンブラット(Stephen Greenblatt)。シェイクスピアやルネサンスの研究者として第一線で活躍しているハーバード大学の教授です。

→ Stephen Greenblatt wikipediaのページ

Stephen Greenblatt wikiより

Stephen Greenblatt wikiより

本書の原題は「The Swerve: How the World Became Modern.」。2011年に全米図書賞(National Book Award of Nonfiction)、2012年にはピュリッツァー賞(Pulitzer Prize for General Nonfiction)を受賞した評判の作品で、著者による最新のルネサンス研究の一冊というわけです。

この物語の主人公はポッジョ・ブラッチョリーニ。

ローマ教皇の秘書を務めるエリート中のエリートで、人文主義者と呼ばれる人々の一人でした。人文主義者はペトラルカによる『ローマ史』の発掘から始まり、古代の文献の発掘・調査を通して忘れ去られた古代の歴史や思想を甦らせた知識人たちのことを言います。彼らが興した学問は、今日における人文科学の基礎になりました。

ラテン語に精通し教皇秘書という地位を持つポッジョは、古代の文献に没頭するには最高のポジションにいたのです。しかし教皇の失脚という思わぬ事態で彼はその地位を失うことになります。

自身が仕えていた教皇が失脚し雇い主を失ったポッジョ。新たな教皇に仕えるという道もあったのですが、彼は地位を捨て一人のブックハンターとして古代の文献を探す旅に出ます。そしてヨーロッパ各地を巡る中、ドイツで偶然にも一冊の本を発見することになります。

それが古代の詩人ルクレティウスの書いた『物の本質について』という本でした。

ポッジョが発見した『物の本質について』の作者であるルクレティウスのことは、人文主義者の中では断片的に知られていたものでした。それというのも、様々な文献の中でルクレティウスに言及されたものが数多くあったからです。しかし、肝心の現物の著書だけがそれまで一冊も発見されていなかったのです。

ポッジョがルクレティウスの名前を知っていたのはほぼ確実である。オウィディウスやキケロといった、ポッジョが仲間の人文主義者たちとともに丹念に読みこんだ古代の諸作品にたびたび登場していたからだ。しかし、ルクレティウスの作品そのものには、ほんの一つか二つの断片にさえ、誰も出会ったことがなく、永遠に失われたというのが通説となっていた。

出典:『一四一七年、その一冊がすべてを変えた』p.66

詩人ルクレティウスの手によって紀元前50年ごろに書かれた『物の本質について』という本は、その当時を生きた多くの人々が言及しているにも関わらず現物が見つからないという幻の本だったのです。それをポッジョは偶然にも発見したのでした。

ポッジョが発見したこの本は美しいラテン語で書かれた詩篇でした。ラテン語の教本として価値があるのはもちろんのことでしたが、何よりもそこに書かれている内容が問題でした。

詳しい内容については本書や別の解説書に譲りたいと思います。私自身がまだ『物の本質について』を読んだことがないのでうまく紹介出来ないと思うからです。本書を読んだことで少し興味が沸きましたのでそのうち読んでみたいと思います。

簡単にかいつまんでご紹介すると、『全ての事物は目に見えない粒子で出来ており、それらは自然の理の中で永遠性を保ち、そこに創造主や神、そして死後の世界は存在しないゆえ、今このときを生きる人生にこそ喜びと幸福がある』という哲学的な内容でした。

そこに書かれていたことは今日における原子論や宇宙論の基礎であり、宗教や妄想にとらわれずに自然を観察し実験をすることで事物の本質を探るという、近代科学の考え方も含まれていたのです。そしてその思想はポッジョの発見により、知識人たちの間で広がっていきました。

コペルニクス、ニュートン、ガリレオなどの科学の分野で大きな発見をした人々、トーマス・モアにシェイクスピア、モンテーニュにジェファーソンなどの名だたる文豪や政治家たちでさえ、この『物の本質について』から影響を受けていたことを著者は膨大な資料の中から探り出していきます。

ルクレティウスの思想がなぜそれほどまでの影響力を持ちえたのか、それはひとえに反キリスト教とも言うべき思想だったからに他なりません。

ローマ崩壊後の中世期、キリスト教は版図を広げる中でキリストの教えに叛く思想は“異端”として抹殺していきました。ローマ崩壊、そしてキリスト教の繁栄こそが古代と中世に文化の断裂を生み出した最大の要因です。ルクレティウスの思想はキリスト教と真っ向対立する内容だったのです。もちろん教会がこれを黙って見ていたわけではありません。

しかし、ルクレティウスの思想を再度抹殺することが出来るほどの力は、すでに教会からは失われていました。権威は失墜し腐敗がはびこる教会はルクレティウスの思想が広がることを阻止できなかったのです。

多くの知識人たちはルクレティウスの思想を受け入れました。それに伴い、古代の思想や文化を“復興”する運動が広まっていきます

ルネサンスの始まりです。

作者は膨大な資料の断片からポッジョの生きた時代を活き活きと描き出します。

ポッジョの生い立ちから一冊の本に至るまでの道筋の描き方、鮮明に構築されていく時代背景の数々、ポッジョの発見が人々へと浸透していく様は、まるで良質の推理小説を読んでいるような感覚を覚えました。ただ単に歴史を連ねるのではなく、一人の男の物語としてもすごく魅力的な本だと思います。

現代の知識を持つ私にはポッジョたちの驚きを十全に理解することは難しいのかもしれません。しかし歴史の流れを知ること、少し言い換えれば人々の思想の変遷の歴史を知ることで、想像し理解しようとすることは出来ます。

そしてそれは、現代で生きることへの驚きにもなりえます。今の私が当たり前のように考えていることが“当たり前ではなかった時代”があったということ、そして数百年や数千年の時の流れの中で生まれては消えていった知識や思想に思いを馳せると、なんだかわくわくしてきます。

一冊の本が世界に与えた衝撃は決して小さなものではありませんでした。そしてそこにまつわる物語にも心惹かれるものがあり、読んでみてとても良かったと思える一冊です。しかし私はそれ以上に、教皇秘書という最高の地位や権力そしてお金を捨ててまで、ブックハンターへの人生を歩んだポッジョの、本にささげた情熱に胸を打たれました。

ポッジョは教皇秘書として働く傍ら、古代文献の研究や調査に励み、同じ志を持つ人たちと過ごす時間を楽しんでいました。そして本を読むということは何にもまして重要なことだったのです。

この手紙をローマから書くことができませんでした。最愛の親友の死の悲しみのせいでもあり、気持ちが混乱しているせいでもあります。混乱の原因の一つは恐怖、一つは教皇の突然の出発です。荷物をまとめて家を出なくてはなりませんでした。一度にあまりにもたくさんのことをしなければならず、手紙を書くどころか、息継ぐ暇さえなかったのです。おまけに大きな悲しみに打ちひしがれているので、何をするのもつらいのです。しかし、本の話に戻しましょう。

出典:『一四一七年、その一冊がすべてを変えた』p.192

数々の悲惨な出来事に襲われ社会的にも追い込まれていたそのときにも、友人に宛てた手紙にはこう書かれています。「しかし、本の話に戻しましょう

「しかし、本の話に戻しましょう」これこそが脱出路であり、恐怖と挫折と苦痛からの逃避手段だった。「私の国はまだ、五年前のペストの流行から立ち直っていません」ポッジョは一四三〇年九月の手紙に書いている。「それが今、またしても、同様に激烈な大虐殺に屈しようとしているようです」その直後に、こう続く。「しかし、われわれの問題に戻りましょう。あなたが図書館について書いていることはわかります」脅威がペストでないとすれば、戦争である。「誰もが運命の時を待ち受けています。都市でさえ運命から逃れることはできないのです」そしてまた同じ調子で続く。「われわれは本を読んで余暇を過ごすことにしましょう。本はそうした心配事から心を解放し、多くの人が望むものを軽蔑するよう教えてくれるでしょう」北ではミラノの有力貴族ヴィスコンティ家が挙兵している。フィレンツェの傭兵隊はルッカを包囲している。ナポリのアルフォンソは紛争を引き起こそうとしており、皇帝ジギスムントは教皇に耐えがたい圧力をかけている。「私はすでにどうすべきか決めました。たとえ多くの人々が恐れている事態になったとしても、私は古代ギリシア文学に専念しようと・・・・・・」

出典:『一四一七年、その一冊がすべてを変えた』p.193

たとえ逃避の手段であったとしても、「しかし、本の話に戻しましょう」と言えるものなのでしょうか。よほどの信念がなければ出てこない言葉だと思います。私には言えない言葉です。

そんな彼だからこそ一冊の本にめぐり合うことが出来たのでしょう。それは偶然のことであったのかもしれませんが、どうしてもそこに必然というものを感じる物語でした。

この物語を読んだ私は、ポッジョの言った一言を忘れずに覚えていようと思います

「私には本を読む自由がある」

出典:『一四一七年、その一冊がすべてを変えた』p.194