「ウルフマン」と呼ばれている男をご存知ですか?

彼の名はショーン・エリス(Shaun Ellis)、現代人として初めて野生のオオカミの群れの中で2年間暮らした男です。

オオカミに育てられた子どもの話を聞いたことがあるかもしれません。しかしエリスはオオカミに育てられたのではなく、オオカミに憧れ、オオカミを愛し、オオカミへと属するために、一人でロッキー山脈の原野の中へと入っていき野性のオオカミと共に2年間を過ごしました。

遠くから野生のオオカミを観察したというわけではありません。群れと共に行動し、同じ野生動物の肉を食べ、オオカミの子を抱き、オオカミとして生きたのです。

本書は「ウルフマン」こと、ショーン・エリスが自らの人生を語り、それをペニー・ジューノが一冊の本にしたものです。

それはまさに奇跡の物語と呼ぶにふさわしい、一人の男の物語です。

本書「狼の群れと暮らした男」は2012年9月3日初版とまだ発売したばかりの本です。

何か本を買おうと書店をぶらついていたときに自然科学のコーナーで本書を見つけました。表紙には寄り添うように立つ二頭のオオカミ、ページをめくると冒頭部分にはオオカミのモノクロ写真がたくさん並んでいます。

飼い犬とは違った自然の鋭さのようなものを感じさせるオオカミの姿には、美しいと思えるような憧れと同時に恐怖感を覚えます。むき出しの牙にするどい爪、容赦なく威嚇する姿は野生の獣そのものです。しかし、穏やかな表情には不思議と安堵感も覚えます。

そんなオオカミの写真の中、さらに異彩を放っているのが著者のショーン・エリスです。肩まで伸びたぼさぼさの髪を無造作に束ね、薄汚れた服を着た一人の男は、なんとオオカミのいる檻の中に立っているのです。

オオカミの群れがえさの肉を食べている輪の中、エリスは当然のようにそこにいます。そして檻の外では人々がその姿を見ています。檻の中にいる人と檻の外にいる人、不思議な光景です。

著者のショーン・エリス

著者のショーン・エリス http://www.guardian.co.uk/lifeandstyle/2011/jan/15/i-lived-with-wolves より

この画像はイギリスの新聞「the guardian」のWeb版の記事「I lived with wolves」のものです。

このオオカミは飼育されているものですが、首輪も鎖もない正真正銘の猛獣です。その中に平然とエリスはいます。

本書はエリスの生い立ちから、現在までを追った物語です。その物語をごく簡単にご紹介したいと思います。

ショーン・エリスは1964年にイングランドの片田舎に生まれました。

父親に会ったことはなく、母親は仕事に追われていたので祖父母に育てられ、それは貧しい暮らしでしたが周囲を自然に囲まれた美しい田舎でのびのびと暮らしていました。

幼い日のある夜、近くの草原で馬たちが走り回る音に驚いてエリスは目が覚めました。彼は原因を探るために家を飛び出します。そしてそこで彼は、四匹の子ギツネを連れた美しい雌ギツネに出会います。

キツネに魅入られた彼は、来る日も来る日も夜に家を抜け出してはキツネたちを観察しました。それは発見の日々でした。人々の話すキツネはずる賢く邪悪で凶暴な存在でしたが、彼にはそれがうそだと感じられたのです。

しかし半年ほどたったある日、森の中でそのキツネが罠にかかり死んでいるのをみつけてしまいます。

それが私の運命を決定づけた瞬間だと、ネイティブアメリカンたちは言っていた。彼らによれば、人は、善かれ悪しかれ幼少時代に起きた経験の結果、動物と暮らす不文律の契約を非常に若い年齢で自然と交わす。振り返ってみれば、あの勇壮な若いキツネ―わが友―が、あの木から吊るされているのを見たときのショックで、同類の種である人間に対する嫌悪感と人間から距離を取りたいという欲望が生まれたことは疑いない。

出典:『狼の群れと暮らした男』p.29

彼は子どもながらも、村の人々のキツネに対する間違いを正そうとしました。キツネ狩りは残酷なことだと抗議を試みるのですが、それはやがて村の中で軋轢を生み始めてしまいます。

学校を卒業し肉体労働の仕事を転々とした後に、狩猟管理人の仕事を始めます。しかし悪さをするキツネを殺すように命令された際、命令には従わずにキツネを守ろうとしたことで職を失ってしまいました。

そしてひょんな出来事から彼は軍隊へ入隊し軍人となりました。

軍人として暮らす一方、彼は「ダートムア野生動物パーク」でオオカミの群れが飼育されていることを発見し、休みの日には通うようになります。そして飼育員たちと親しくなって手伝いをしたり、長期休暇のときにはそこで仕事をさせてもらうようになりました。

そしてあろうことか恐るべき実験を始めてしまうのでした。

私はすぐに好奇心に抗しきれなくなった。私は彼らの近くに寄り、もっとこの動物を知りたいと思い、柵の中で静かに座り始めた。キツネがそうだったように、いつかオオカミが興味を持って近づき私を調べ始めるのではないかと期待して、数週間、何時間も何時間も座り続けた。彼らは来なかった。

<中略>

今考えても、私はオオカミに何をしてほしいと思っていたのか、何故あんな方法でがむしゃらに彼らを知ろうと思ったのかわからない。

出典:『狼の群れと暮らした男』p.55,56

飼育されているとはいえ、檻の中にいるのは正真正銘の猛獣であるオオカミです。一歩間違えればただでは済まないことは明白でした。それでも彼は飼育員や園長を説き伏せ、その実験を始めるのでした。

しばらくの間はオオカミたちに反応はなかったのですが、次第に興味を持ち始めたのか一匹のオオカミがエリスに近づき匂いを嗅ぎ始め、そして彼を噛みました

後にエリスは理解するのですが、これはオオカミが仲間を見定めるための一種の試験でした。群れにとっての新入りが信頼できるのかどうか、噛まれたことでどういう反応を示すのかを見ているのです。

エリスの場合は噛まれたことでどうしたらいいのかわからずに、何もしなかったことが功を奏しました。もし逃げ出したり大声を出していたら大変危険な状況だったのです。

その日から毎晩、エリスはオオカミに噛まれ続けました。それが二週間もたった頃、今度はオオカミが体全体を彼になすりつけ始めたのです。匂いづけでした。

オオカミは彼を群れの一員として受け入れたのです。

その経験によってエリスはオオカミへと深く傾倒していきます。

オオカミが私を虜にし、私の精神は混乱した。仲間の人間に対しては軽蔑しか感じなくなり、私を彼らの世界に受け入れてくれたオオカミたちに対しては敬愛の念しか抱かなかった。彼らの世界こそ私が留まりたいところだった。そこは人間世界より安全で、規律正しかったので、私はそこへの所属意識のほうが強かった。

それで、軍隊を辞めると間もなく、気がつけば私はアメリカ行きの飛行機に乗っていた。どう考えても常軌を逸した行動だった。

出典:『狼の群れと暮らした男』p.68

アイダホ州に住むレビ・ホルトに会うため、彼は単身アメリカへと渡りました。レビはネイティブアメリカンの男で、「オオカミ教育研究センター」を運営する生物学者です。

そして研究の手伝いをするという条件で、住み込みでオオカミの勉強を始めました。

彼はアメリカで様々なことを学び、ここでもオオカミの群れに交じるという実験を行い成功します。彼にとっては収入も贅沢も何もない環境でしたが、大好きなオオカミや研究者たちに囲まれて最も幸福な時期でした。しかしやはり収入がなくては生活も出来ず、貯金がなくなる頃にイングランドへ帰国することになりました。

しばらくはダートムア野生動物パークで仕事をし生計を立てますが、アメリカへの思いが再びつのり、再度オオカミ教育研究センターへと戻ります。そしてそこでさらに驚くべき実験を試みるのです。

キャンプの生物学者たちは私の計画に断じて反対だと言い、頭から敵対的になる学者もいた。科学的に反対する根拠はあるがそれは別としても、私の理論と信念は間違っており、それは自殺行為だ、と彼らは考えた。彼らにとって、私は外国から来たそれこそ一匹オオカミで科学者の資格もない―そう言われればその意見に反論するのは難しかった。私がしたいと思ったことはあらゆる科学的原則に反した。生物学者として彼らは観察しているがそのものに触れてはおらず、きめ細かく定義された方法論に従っていた。しかし、私は科学者ではないし、彼らと違って失ってこまる名声もなかった。私は成功しなかったらどうなるだろうという恐れがなかった。失うものが何もなく得るものは全てだった。

出典:『狼の群れと暮らした男』p.101,102

野生のオオカミの群れに人は受け入れられることが出来るのか。

エリスのやろうとしていることは無謀極まりない危険な賭けでした。しかし最終的にレビは実験の許可を与えて協力します。そしてエリスは単身ロッキー山脈へと入っていくのでした。

結果的にエリスは野生のオオカミの群れとの接触に成功し、共に暮らすという驚くべきことを成し遂げました。

本書にはそのときの出来事が鮮明に描かれています。それは現代人の私にとってはとても信じがたく、夢のような物語です。

しかし私には、夢のような出来事であるにも関わらず、エリスの生い立ちや考え方を通してみると当然の帰着点のように思えてしまう不思議さも感じられます。自然と人間の狭間の中で、人間世界に属するはずの自分や周囲が信じられず、常に心は自然の世界へと向いていた彼だからこそ辿り着いた境地なのかもしれません。彼は人間でありながら常にオオカミでした。

しかしながら彼の幸福のときは長続きしません。

人間の体は長期間野生として暮らすには不向きなものです。日々の食事は木の実や果物、それにオオカミが狩りをして手に入れる生肉だけでしたので、次第にエリスは健康を損ない始めます。また、オオカミと暮らすには人間の体は脆すぎて常に傷が絶えませんでした。

2年が経つ頃、彼は限界を感じ群れを離れて人間世界に戻ることを決意します。

木にもたれて座り誰か私を見つける人が現れるのを待った。ついに、そしてずいぶん長い間、私は泣いた。私が残してきたものすべてに対する痛みと悲しみが雪崩れを打って私を襲い、私はこれ以上涙が出ないところまで声をあげ、あるいはすすり泣いた。

出典:『狼の群れと暮らした男』p.145

レビが私を見たとき、いつもは表情が読めない彼の顔がショックを受けた顔だった。私は彼がここまで大きく反応するとは予期していなかったが、彼が私の中に見た変化は当然ながら私の風貌の変化以上のものだったので、彼が手を差し出して私をハグしようとしたとき、私は泣き崩れた。あの二年間がすべての面で私を変えていたし、私が経験したことの異常な重みがだんだんわかり始めてきていた。私は生きながらえたが、私が愛したすべてに、私がもう二度と接近できないだろう世界に、別れを告げてきたのだ。

出典:『狼の群れと暮らした男』p.147

人間であるエリスがオオカミの群れの中で暮らし、そこで得たものとは何だったのでしょうか。彼はオオカミと別れ、人間の世界へと戻るところで泣きました。

元の文明の世界へ帰る喜びや懐かしさよりも、家族として暮らしたオオカミたちと別れる悲しみが彼を襲ったのです。彼は人間世界へと帰ってくるのですが、オオカミの世界と人間世界の隔たりに苦しめられるようになってしまいます。

しかし、最も難しかったのは人間世界への適応だった。私が住んでいた、そして仲間として属していると感じていたオオカミの世界は、きわめて単純でバランスが取れていた。ごまかしや、悪意や、根拠のない残酷さのない世界だった。何かがなされるには必ず誰でもが理解できる理由があった。それはときに手荒く攻撃的で、自分のものに対しては争うが、彼らはその本性の片面として優しさと思いやりをも持ち合わせ、私が実際に見て経験したように、仲間を大いなる愛情で手厚く面倒をみた。彼らにとっては家族という単位の安全を守り養うことが最も重要なことだが、この世界を共生している生物に対しては尊敬の念を持っていた。彼らは遊びではなく食うために殺生するが、決して食べられる以上の殺しはしない。

これと対照的に、人間はあらゆることを当たり前のことと考えている。人間は貪欲で、利己的で、人間しか大事な種はいないかのようにこの地上を略奪している。だから私たちの社会に危険と思いやりのなさが蔓延している。飛行場で出発を待つ間、両親が子どもたちと口論し、何でもないことで子どもを折檻しているのを目撃した。私は叫びたかった、「止めろ。子どもとは楽しめ。授かりものに感謝しろ」と。

出典:『狼の群れと暮らした男』p.149,150

人間の世界とオオカミの世界、この二つの狭間でエリスはしばらくの間苦しみ悩みます。しかしイングランドに帰国したエリスの心の中には一つの思いが生まれていたのでした。

エリスは「ウルフパック・マネジメント」という組織を設立しました。メンバーは彼ただ一人です。そしてこれまでの経験を活かし、飼育されているオオカミたちの環境改善を図る活動を始めていきます。

この本はエリスとオオカミの関係を描いた物語ですが、それと同時に彼と人間の物語でもあります。

彼はその人生の中で何度かの結婚をし、いずれも破局しています。あまりにも長い間オオカミの世界にいたために人間の世界にうまく順応出来なかったのです。

彼はそのことを次第に自覚し始め、今ではオオカミの世界と人間の世界を繋ぐ架け橋になろうと努力しています。

セラピストの助けで、私は次の二、三か月に自分のことをたくさん学んだ。ネズパース族は、私は二つの世界の間に生きていると言ったことがあるが、私はオオカミと一緒に彼らの世界にあまりに長く住んでいたので、ほとんど人間としての在り方を忘れていたということに、私はやっと気がついた。私の目標はこの二つの世界のギャップを埋めることで、オオカミを嫌悪する人間社会に、自然の世界にバランスと繁栄をもたらす上でオオカミが持っている力の価値を理解しようとしないこの社会に、オオカミを受け入れさせようと探ることだった。

出典:『狼の群れと暮らした男』p.302

エリスが設立した「ウルフパック・マネジメント」は今では「ウルフ・センター」へと発展し、多くの人々がオオカミと、さらには人間のために働いています。そしてエリスは世界中で講演を開いたりと積極的に行動を起こしているのです。

彼のやってきたことは他の専門家たちから全面的な支持を得ているわけではありません。科学的な手法によらずに、常に実践的だった彼の行動や理論は間違っているのかもしれません。

しかし科学の理に反しようとも、彼が見つけたものは自然の理であるからこそ人々の胸を打ち、説得力があるのだと思います。

彼の物語は数々のテレビ番組で紹介され高い評価を得ています。また彼のオオカミに関する理論は、ペットとして飼育されている犬の行動理論にも活かされています。

物語の最後の章のタイトルは「私には夢がある」となっており、彼の夢がたくさん語られています。

ショーン・エリスが成し遂げたこと、そして成し遂げえなかったもの、それだけでも十分に奇跡と呼ぶにふさわしい偉大なことなのだと私は思います。しかしながら、彼の夢は今だその途上であり、彼が見るものは未だ果てしない可能性をも秘めているのだと思います。

ショーン・エリスの夢はまだ始まったばかりです。

以下はナショナル・ジオグラフィック・チャンネルで放送された番組「A Man Among Wolves」の予告です。