アニメ【灰羽連盟】が村上春樹氏の小説【世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド】から多大な影響を受けていることはファンの間では知られていることです。

私が本書を読んだきっかけはもちろん灰羽連盟でした。灰羽連盟の虜になり、いくつかの記事やニュースを追っているうちに本書に辿り着いたわけです。実際に読んでみると、確かに灰羽連盟に繋がるような要素が至るところに散見されます。

灰羽好きとしてはたまらない内容ですが、そのことを差し置いてもこの小説は実に面白い小説です。今回は灰羽連盟にも焦点をやや当てつつ、【世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド】の読書感想を書いてみようと思います。

本書はどんな本?

作者は言わずと知れた【村上春樹】です。1985年に初の書き下ろし長編小説として刊行され、第21回谷崎潤一郎賞を受賞するなど評価の高い小説です。

1988年には文庫化されており、私が読んだのも文庫版になります。wikiによると、2002年には単行本・文庫本の累計発行部数が162万部にも達しているそうです。

→ 世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド Wikipedia

本書のあらすじ

は『組織』に所属する「計算士」として、とある老科学者から依頼を受けます。計算士とは暗号処理を行いデータを守るための専門家です。一方で『工場』には「記号士」と呼ばれる暗号解読を行う者たちがいて、彼らは互いに情報戦争における敵対関係にありました。

一方では周囲を高い壁に囲まれ、額から一本の長い角が生えている獣がいる街で暮らしていました。街に入るときに僕は門番によって自分の影を引き離され、街に来る以前の記憶を全て失いました。僕は静かで平和な街の中で「夢読み」の仕事を始めます。街にいる一角獣たちの古い頭骨から<古い夢>を読み取るのが夢読みの仕事でした。

老科学者からの依頼を受けたは報酬とは別にとあるプレゼントを貰います。自宅で包みを開いて出てきたものは、動物の頭骨でした。私は謎の動物の頭骨を調べてみることにして、あることに気がつきます。その頭骨の額には何か浅いくぼみがありました。まるで、そこに角が生えていたかのような……。

【世界の終わり】と【ハードボイルド・ワンダーランド】

本書の大きな特徴は【世界の終わり】と【ハードボイルド・ワンダーランド】という二つの物語が同時進行で進むところにあります。

ハードボイルド・ワンダーランド】は現代の日本を舞台に計算士として活躍している“”の物語です。ある老科学者から仕事の依頼を受けるところから物語は始まり、一角獣の頭骨の謎や、計算士と記号士たちの情報戦争など、私にとってハードな展開が次々に巻き起こっていきます。そうした中、老科学者の失踪に端を発して“私自身”の中に隠された大きな秘密に私は向き合うことになります。物語はまさにタイトルの通り、ハードボイルドに展開されていくのです。

そして同時進行で進んでいくもう一つの物語が【世界の終わり】です。こちらは【ハードボイルド・ワンダーランド】とは一転し、周囲を高い壁に囲まれた幻想的な街が舞台の物語となっています。街に入る際、僕は影を切り離されたことで街に来る以前の記憶を全て失います。街に暮らす誰もが不思議と感じていない疑問、この街は何なのか、壁の向こうには一体何があるのか、僕が街で与えられた夢読みの仕事とは一体何なのか、僕は疑問の答えを見つけるために街の探索を始めます。

この二つの物語はそれぞれ独立した物語として展開していきます。雰囲気も全く異なる二つの物語ですが、中盤にさしかかる頃には互いの関係性が判明していきます。全く無関係に見える二つの世界には物語の根幹に関わる大きな秘密が隠されているのです。

本書を読んだ感想

先述したように灰羽連盟は本書の影響を強く受けた作品であり、実際に本書を読んでみると共通する要素や設定などがちらほらと確認することが出来ます。例えば灰羽連盟の各話のタイトルは三つの単語を並べた構成になっており、これは【ハードボイルド・ワンダーランド】と共通しています。

灰羽連盟

第1話 【繭 空を落ちる夢 オールドホーム】

第2話 【街と壁 トーガ 灰羽連盟】

ハードボイルド・ワンダーランド

第1話 【エレベーター、無音、肥満】

第2話 【雨合羽、やみくろ、洗いだし】

各回を象徴する単語をタイトルに込めているわけですが、灰羽連盟の第8話だけは“鳥”とただ一つの単語がタイトルになっています。第8話は物語において大きなターニングポイントとなる重要なところです。であればこそ、このタイトルに込められた何かを想像せずにはいられません。なぜならば、【世界の終わり】のタイトルは一つの単語で構成されており、なおかつ最終章のタイトルこそが、“”という全く同じタイトルだからです。

灰羽連盟においても、また本書の世界の終わりにおいても、“”はとても象徴的な存在として描かれています。鳥は作中で壁を越えることの出来るただ唯一の存在です。街は壁によって隔たれていますが鳥の存在によって外の世界が存在することを意味していますし、灰羽連盟においては外界とラッカを繋ぐ重要な存在として描かれました。

しかしながら灰羽連盟における街や鳥の存在はどこまでも象徴的で曖昧に描かれており、ラッカと同様に視聴者が感じた疑問の数々、すなわちこの街は何なのか? 灰羽とは何なのか? 壁の外には何があるのか? といった疑問には何一つとして回答が得られません。視聴者としてはもどかしいところですが、回答がないからこそ想像の余地は生まれ、より一層に灰羽連盟が印象深く心に残る作品たり得るのだと思います。

一方で本書の世界の終わりにおいて、街の謎は最終的にほぼ全てが明らかになります。これは灰羽連盟と本書を関連づけて読む上で絶対に見逃せない点だと思います。灰羽連盟が描く街と、世界の終わりが描く街は決して同一の存在ではありませんし、設定やテーマも異なります。しかしながら随所に見られる共通点や灰羽連盟の成立を鑑みるに、世界の終わりで描かれている街を無視するわけにはいきません。

【世界の終わり】は主人公のの視点から街が描かれていきます。街に入るときにを引き離された僕は以前の記憶を全て失ってしまいます。

 そう、我々は影をひきずって歩いていた。この街にやってきたとき、僕は門番に自分の影を預けなければならなかった。

「それを身につけたまま街に入ることはできんよ」と門番は言った。「影を捨てるか、中に入るのをあきらめるか、どちらかだ」

僕は影を捨てた。

出典:【世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド(上)】p.108

ところで引き離された影がどうなるのかというと、影はもう一人の僕として門番のところで生活を始めます。影はこの街からの脱出を目論んでいますが門番がいる限り行動を起こすことが出来ません。そこで影は僕に頼んで街を調べてもらいます。

なぜ街へやってきたのか、この街は何なのか、僕はこれからどうなるのか、一つ一つの疑問に答えを見つけるために、僕は街を探索していきます。その過程で色々な発見をしていくのですが、やがて、この街の人々にはがないということに気がつきます。

 僕は目を閉じて、様々な方向にちらばった思いをひとつひとつ拾いあつめた

「僕はこう思うんです」と僕は言った。「人々が心を失うのはその影が死んでしまったからじゃないかってね。違いますか?」

「そのとおりだよ」

「彼女の影はもう死んでしまっていて、その心をとり戻すことはできないというわけなんですね?」

 老人は肯いた。

出典:【世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド(上)】p.288

街には影を持つ者はいません。街に入るときに影を失い、引き離された影はやがて衰弱して死んでしまうからです。そして影を失った者は同時に心も失います。これが街の大きな仕組みの一つであり、本作における大きなテーマの一つでしょう。心とは何なのでしょうか?

街の中はただただ平和で静寂な時が流れ、人々の間に争いや諍いは存在しません。街は壁によって外からのありとあらゆるものから守られています。しかし、その楽園のような世界に暮らす人々には、心がありません。心を無くすことで街は存在が許されているのです。

すでに影を引き離された僕も、徐々に心を失いつつあります。どうしても思い出すことが出来ない大事な何かを探しながら街に暮らす僕の姿にはある種の悲しみが漂います。心の奥底にあるはずの何かがどうしても分からないのですが、それでいて街はただただ静かで、平和に包まれているのです。

僕の心と壁に囲まれた街の間にあるものこそが、物語に何とも言えない寂しい雰囲気を生み出しているように私は感じました。街は穏やかで平和なのですが、逆に完璧な平和だからこそ、そこに違和感が漂います。

この街の存在をどう捉えるかが本書を読む上での大事なところなのだと私は思います。グリの街は灰羽に安らぎと祝福と、そして巣立ちを与える街でした。それは言わば中継点としての街であり、灰羽たちはどこか次へと繋がる存在です。しかし、世界の終わりの街には次が見えてきません。平和に閉ざされた街の中、彼らは日々変わらぬ幸福を享受し続けるのです。それは幸せではあるけれども停滞に他ならず、そこから先には誰一人として進むことは出来ないのではないでしょうか。

世界の終わりの街がどのようにして誕生したのか、どういった性質のものなのか、それは本書の中でしっかりと語られています。ハードボイルド・ワンダーランドとも掛け合わせ、二つの物語が一つに収束していく様は見事の一言です。特に灰羽連盟から本書に興味を持った方ならばこの一冊は非常に興味深いものとなるはずです。

この本一冊だけが灰羽連盟へと繋がったわけではありませんが、この物語には灰羽連盟へと続く共通点や相違点が数多く見られます。中でも私は相違点にこそ注目すべきではないかと思っています。共通点は数多く見られますが、表層的な部分がほとんどです。安倍吉俊氏が本書を読んで感じたこと、灰羽連盟へと物語を繋げる中で何を真似て、何を真似なかったのか、そういったことに思いを馳せて本書を読んでみるのもなかなか楽しいことだと、私は思います。