桜風堂ものがたり」は2016年9月に発売した村山早紀の小説です。

まだ2ヶ月ほど残っていますが、私が2016年に読んだ中では本書がベストな一冊になると思います。こんなにも大切にしたい本に巡り会うことはなかなかありません。願うならば、本が好きなすべての人に、そして本屋さんが好きなすべての人に、この作品を読んで欲しいと思っています。

すでに本書のレビューは「シミルボン」へ寄稿していますので、このブログの記事では少し視点を変えたところから本書について語りたいと思います。

あらすじ

月原一整(つきはら いっせい)は老舗百貨店にある銀河堂書店で働く書店員でした。物静かで人付き合いの苦手な青年でしたが、書店員としての実力は高く、店長や同僚からは厚く信頼されていました。ところが、ある万引き事件が彼の人生を大きく変えてしまいます。万引き犯の少年を追いかける彼の目の前で、その少年が車にはねられてしまったのです。幸い命に別状はありませんでしたが、そこから銀河堂書店の受難が始まりました。

「たかだか本と中学生の命と、いったいどっちが大切だと思っているんだ」

「子供を追いかけた店員はどうなった。まさかまだ店にいるのか」

「人殺し」

ネット上では一整の顔写真が出回り、心ない言葉が飛び交いました。銀河堂書店には罵声の電話が鳴り響き、やがては百貨店にもその矛先が向けられたのです。一整はそのすべての責任を一人で背負い、学生時代から数えて10年働いた書店を辞めることを決心します。

銀河堂書店と別れる最後の日、一整には大きな心残りがひとつだけありました。それは近いうちに発売される予定だった一冊の文庫本です。10年働いた書店員の勘でしたが、彼には売れる本を見抜く才能がありました。「この本は売れる。知名度はないけれど、きちんと売れば売れる本だ」その確信が一整にはありましたが、その願いを自分の手で叶えることはもう出来なかったのです。

仕事を辞め、傷ついた一整は、かねてよりネットで親交のあった桜風堂書店を訪れることにしました。それは山間の小さな町にある古い書店で、店主の老人とはブログを通じて知り合う仲だったのです……。

言葉を愛する者は、言葉を綴らずにはいられない

今は簡単に言葉が綴れる時代です。SNSはもちろん、このブログのようにど素人の一般人でも本の感想を言葉にできます。それは素晴らしいことだと思いますが、一方で常に危険性がつきまとうことを忘れてはいけません。

しかしながら、そのことを理解していない人は現実にも多く、自己の正義を信じ込んだ人たちの言葉は攻撃的で苛烈になりがちです。物語の序盤、心ない言葉を突きつけられる一整の姿は本書の中でも胸が締め付けられるとても苦しい部分です。簡単に言葉が綴れるからこそ、一度生まれた言葉の嵐を止める手立てが見つかりません。

書店を辞めざるを得なかった一整に対し、できることはなかったのかという後悔と、その一方で、これで事件が収束するだろうと少しホッとしてしまう自分が嫌で、私は読んでいて胸がとても痛くなりました。物語であるにも関わらず、私にはこれが他人事とは思えませんでした。

私も理不尽なクレームを受けたことがあります。一整のように大事に至るものではありませんでしたが、ちくちくと突き刺さった胸の痛みを今でも覚えています。結局は渚砂の言うとおり、見ず知らずの奴のことなんて気にしないで放っておくのですが、できることならそんな経験をしたくはありませんでした。

一整は「言葉を大事にしない人たち」に傷つけられました。ですが、「言葉を大事にする人たち」によって彼が救われていくところに、私がこの物語を好きになった理由があります。

桜風堂の人々や銀河堂の店長や同僚たち、本に携わるすべての人たちの言葉には目頭が熱くなります。彼らの後悔の気持ちや一整を案じる気持ち、そして二度と過ちを繰り返さないという決意が心に響きます。その中でも、私は三神渚砂がお気に入りでした。

渚砂は一整の同僚でしたが物静かな一整の性格もあり、仕事のこと以外ではあまり接点がありませんでした。しかし万引き事件で一整が書店からいなくなったあと、渚砂は彼がネット上の友人であることに気がつきます。

リアルでの会話は少ない二人でしたが、互いの素性も知らないままにたくさんの言葉をネットで交わしていました。そのことに気がついた渚砂のとる行動や姿勢が私はすごく好きです。距離感を大事にしつつも彼女が選んだ言葉には誠実さが溢れていました。

 リアルの世界では、声帯を震わす言葉にはならず、誰かの耳に届くことのなかった書物への愛や熱い想いは、この世界に存在しなかったのではなく、ひっそりと誰かのために書かれた恋文のように、ネット上に存在していたのだ。

 そういうことなのだ。言葉を愛する者は、言葉を綴らずにはいられない。

出典:「桜風堂ものがたり」p.169より

渚砂の「言葉を愛する者は、言葉を綴らずにはいられない。」という言葉がすごく印象に残っています。これは一整を指した言葉でありながら、一方で渚砂自身にも当てはまる言葉でした。

私はこの言葉にドキリとさせられました。

私も一整や渚砂のようにネットで言葉を綴ってきた人間です。誰が見るでもなしのブログで、細々と読んだ本の感想を言葉にしてきました。なぜそんなことをしているのか、自分なりにその理由をあれこれこねくり回したことはありますが、本当の理由を今初めて理解できたような気がしたのです。

そうか、私は言葉を愛していたんだ。だから言葉を綴ってきたんだ。

そんな簡単なことに私は今ようやく気がついたようです。ならばこそ、これからも私がやるべきことは一つです。

あなたは恋文になんと応える?

「桜風堂ものがたり」は人に感想を伝えたくなる物語だと思います。その理由には「恋文」がキーワードとしてあげられます。

作中、「恋文」という単語が重要なシーンでたびたび登場します。ただ、ここで言う「恋文」は単なる「あなたが好き」というようなラブレターの意味ではありません。自分の胸の内をさらけ出し、相手に自分の考えを伝えようとする意志を持った強いメッセージのことを意味しています。

それはときに懺悔の言葉であり、あるいは感謝の言葉かもしれません。それこそ赤裸々な告白でもありますし、声援を送る言葉にもなります。実にたくさんの意味を内包したそれを、この物語では「恋文」と表現しているのです。

これは著者のあとがきからも読み取れますし、最後まで読んだ読者は気がつくはずです。この物語は、「著者から読者へ宛てられた一通の恋文」に他なりません。だからこそ、この本を読んだ私たちはその恋文に応えたくなります。本が好きな私たちは、応えなくてはいけないと思うのです。

「面白かった」

「感動して泣いちゃった」

「この本読んで良かった」

そんな簡単な言葉から綴り始めてもいいと思います。一整を苦しめたような言葉を吐くよりも、それは何万倍も簡単で素敵なことではないでしょうか。どうせなら前向きな言葉でこの物語を語り、著者の村山早紀さんや、この本を作り上げた人々、そして書店で働くすべての書店員さんたちへと、みんなの恋文が届けばいいなと私は願っています。

ツイッターを「桜風堂」で検索するとこの本を読んだ人たちの声が聞こえてきます。恋文への回答はひとりひとり違いますが、それを眺めるのもまた楽しいと私は思うのです。


あなたは「桜風堂ものがたり」という恋文に対して、一体どんな言葉を綴るのでしょうか。

私はぜひ、その恋文も読んでみたい。