昨日、映画「この世界の片隅に」を観てきました。

素晴らしかった。これまで観てきた映画の中で最も素晴らしい映画でした。面白かった、感動した、泣けた、そんな単純な言葉では何も表現できないくらい、ただただ心が揺さぶられて涙が止まりません。その感想を今から言葉にしていきたいと思います。ただ、私には表現できる自信がありません。こんなにも言葉にすることが怖いと思った作品は生まれて初めてです。

ネタばれは控えてますが、どうしても語らずにはいられない部分もあるのでご注意ください。そして原作は未読なので、認識の違いや齟齬があるかもしれない点はご了承ください。

なにせ、映画を見終わったあとの記憶があやふやでうまく思い出すことができないのです。

どんな映画?

「この世界の片隅に」は2016年11月12日から上映が開始されたアニメーション映画です。原作はこうの史代による同名のマンガで、全3巻の単行本が発売されています。

舞台は第2次世界大戦期の広島、呉。

戦争と聞くとどうしても「反戦」や「政治的イデオロギー」が脳裏に浮かんで身構えがちですが、この作品ではそういった要素はほとんど目立ちません。すずという一人の女性の日常を通し、大戦期に生きた人々の暮らしをリアルに追求していきます。たとえ戦争が起きようとも、ご飯を食べるために料理をしなくてはいけないし、洗濯もしなくてはいけません。日々生きていく彼女たちの姿を通して、あの時代を描いてみせたのがこの作品の大きな特徴です。

感想を言葉にするのが難しく、すごく怖い

ツイッターでも少し漏らしましたが、私はこの映画の感想を言葉にするのがとても怖いです。

こんなことを感じたのは初めてです。理由ははっきりとしています。言葉という形にしてしまうことで、自分の感情が定義されてしまうことがとてつもなく怖いのです。「悲しい」と書いてしまったら、「悲しい」という感情に心が納得して支配されてしまう。この映画を観て本当にそう思ったのか? と自分に問いかけてもその答えが見つかりません。

映画を観ているあいだ、何度も涙がぽろぽろと流れてしまいました。最初は指や袖でぬぐっていたけれど、いつからかハンカチを取りだしてずっと握りしめていました。悲しいから泣いていたのか? たぶん違います。じゃあ何で泣いていたんだ? それがわからない。「悲しい」なんて言葉でははかりきれない感情の渦に私は翻弄されていました。これを「悲しい」と表現してしまったら、この感情の渦を自分は見失ってしまいます。それがとても怖い。

迂闊に言葉を綴ることができません。なんと表現すればいいのかがわからない。自分の理解力のなさと語彙力のなさに震えます。これから書いていくものはどうにかして形にした文章です。あまりにも稚拙で冗長な点はお許しいただきたいと思います。

「この世界の片隅に」を観た感想

この映画はまず、美しい画に圧倒されました。美麗、と言うのとはまた少し違った温かさを感じる色使いやタッチです。幼いすずが一人で歩き回る町並みが美しくて、楽しくて、開始数分でなんだか目頭が熱くなってしまいました。私はこの町を知らないけれど知っています。すずが歩いた道も、すずが見た景色も、そのすべてを私は知らないけれど、知っていました。日本人なら誰だってそうでしょう。あの日に何が起きたのか、今を生きる私たちはそれを全部知っています。

最初から最後までずっとこの感覚がつきまとっていました。知らないけれど知っている。あの日に向かって進む時間の中、すずの日常と自分の知る世界を重ねて何度も心が乱されました。けれど、すずにとっては知る由もない世界の話です。すずのどこか抜けた性格やおっとりとした毎日の日々が、あの時代に生きた私の知らないすずのリアルな姿を描き出していきます。

この日常の描き方がすごくリアルなので物語にぐいぐいと引き込まれました。それでいてアニメーションの演出が想像力をより刺激します。すずは物語の序盤にすごく印象的な絵を描き上げるのですが、それがアニメーションで動くシーンはあまりの美しさにただ呆然としました。すずには世界がああ見えていたのでしょう。その美しさを前にいかなる言葉も説得力を持ちません。あの絵に込められた表現力にはただただ圧倒されました。

物語が中盤に差し掛かると戦争の影響がすずの生活にも現れ始めます。配給は少しずつ減り、食卓にのぼる食材も変化してくるのですが、そんな中でもすずはすずらしく毎日を生きていきます。その姿に安心すると同時に、胸が締め付けられるように痛みました。そしてあの空襲の日が訪れます。

それは白昼夢のように唐突で、でもどこか美しくて、あの空をずっと眺めていたいという気持ちにもなりました。あの表現はすごいの一言です。青空をキャンバスに描かれていく空襲のシーンは映画館で絶対観て欲しいです。アニメーションだからこそできる、怖さを感じるほどの美しさがありました。けれど、少しでもそう思ってしまった自分を責めるかのようにすぐさま現実へと引き戻されます。怖い、怖い、怖い! 怖くて仕方がない!! 身体のすぐ横を凄まじいスピードで死が通り抜けていく恐怖にとても耐えられず、私はすぐにでも逃げ出したい気持ちになりました。

戦争を描く以上、悲惨なシーンは当然あります。ですが、不思議と押しつけがましくはありません。すずの視点からすずの等身大までの範囲でしか描写されないのがその理由でしょう。私たちは第2次世界大戦ではなく、すずが見てきた戦争を観ているのです。それが一番顕著なのは、やはり原爆のシーンだと思います。

この映画における原爆の描き方は衝撃的でした。むしろ衝撃がないことが私には衝撃的だったのです。いつもと大して変わらぬ戦争の日々に突然やってきたあの日。私たちはその日が何を意味するのか知っていますが、すずは知りません。山向こうに見える不思議な雲のことも、そこで何が起こったのかも、日本が今、どういう状況にあったのかも……。だからこそ、そこに胸に迫るほどのリアルを感じました。戦争の中ですずが感じた日々の楽しいことも、嬉しいことも、悲しいことも、やりきれない気持ちも、その全部が、まるで現実かのように私たちの胸を打つのです。これは映画です。フィクションです。なのにあの時代、あの場所に、確かにすずが存在していました。どこかぼんやりと抜けたところがあるけれど、一生懸命に日々を生きて、絵を描くのが好きな、そんな女性がいたことに私は涙が止まらないのです。実家の家族に何が起こったのか何も分かっていないすずの姿に、私は涙が止まらないのです。

上映が終わり館内が明るくなると、周囲の人々は次々に席を立ち外へと出て行きました。「あの人たちはなんて強いのだろう」正直、私はそう思いました。とてもじゃないが立ち上がれない、足に力が入らない、感情に理解が追いつかない。涙をハンカチでぬぐい、私はゆっくりと劇場を後にしました。最後に後ろを振り返ると、まだ席に座ったままの人がちらほらといたのが印象に残っています。そしてお手洗いで鏡の前に立ったとき、充血して目が真っ赤になった自分に出会いました。「どんだけ泣いていたんだみっともない」と思いながらも、それだけの作品に出会えたことに心の中で感謝をしました。

外へ出ると時刻はすでに夕暮れで街明かりがぽつぽつと灯り始めていました。映画の最後のシーンが街の風景に重なります。あの世界からすでに70年、世界はこんなにも様変わりしました。映画のことを思い出そうとあれこれ考えながら街を歩いていましたが、私は何も思い出すことができませんでした。足早に歩く人々の姿を眺めながら、ただ、すずの声だけが頭の中でぐるんぐるんと回っていたのです。映画の中ですずが声を荒げるシーンが何度かあります。その声が、どうしようもないほどに頭から離れませんでした。

「この世界の片隅に」は本当に素晴らしい映画です。是非とも、映画館に足を運び見て頂きたい。戦争とか歴史とかそんな細けえことはどうでもいいのです。すずという一人の女性と出会って何かを感じて欲しいと思います。どこか抜けてとぼけた感じのすずの人柄に、その笑顔に、どうか笑って欲しい。すずが生きたあの日々を、どうか忘れずにいて欲しい。そして私たちから見たらすでに過ぎ去ってしまったすずの未来を、どうか願って欲しいと私は思います。

間違いなくこの映画はこれから先、とても長く語り継がれていく傑作になるでしょう。私はそう確信しています。

食べること、生きること

映画を観た帰り道、バス停に辿り着くと次に来るバスは30分後でした。30分も待つなら家まで歩くかタクシーを使いますが、その時はどうしてもそんな気分にはなれず、バスを待つことにしました。バスを待つあいだ、近くに大判焼きのお店が出ていたのでふたつ購入し、近くのベンチに腰掛けます。気がつけば映画を見終わってから何も食べていなかったのでお腹が空いていたのです。

大判焼きを頬張っていると、ぼんやりとすずたちが食べていた食べ物が脳裏に浮かびました。すずが生きたあの時代から70年が経った今、戦争があろうがなかろうが、私たちは食べ物を食べて生きています。食べること、生きること。すずの日常が続いたその先に、この世界の片隅に生きている今の自分を実感しました。ふたつ買った大判焼きのひとつを私はすずに食べさせてあげたかった。すずはどんな顔をして食べてくれるのだろう。もしかしたら半分こにしてひとつをあの子供に、もうひとつを周作にあげてしまったりするのかもしれない。けれど周作はそれをさらに半分こにしてすずにくれると思う。皆が笑顔になれればそれでいいなあと思い、また涙が溢れそうになりました。

そんなことを考えながら、私は粒あんがぎっしり詰まったもうひとつの大判焼きを食べました。私が注文したのはクリームのはずだったけど、そんなことはどうでもいいくらい、夜風に冷えた身体に粒あんの甘さと温かさが染みました。