実際にニンジャスレイヤーを読むことで初めて気づかされる面白さがあると思います。

私はニンジャスレイヤーを読み始めて良い意味で裏切られた気分でした。話題になっているネタ小説だと思い読み始めたのですが、物語の奥深さやあまりの面白さに打ちひしがれてしまったのです。

ここでは私の考える【ニンジャスレイヤーがネタ抜きにマジで面白い、その3つの理由】を書いていこうと思います。ですが正直なところ、こればかりは実際に小説本編を読んでみなければ分からないことでもあり、自分自身で物語を読んで自分なりの解釈をすることで初めて得られる感想です。

結構なネタバレも含みますので本編未読の方は気をつけてください。そしてもしニンジャスレイヤーに興味を抱いた方は、是非自分自身で小説を読んでみて自分なりの感想を見つけてみてくださいな。(2015年1月26日改訂

重厚なヒューマンドラマ

ニンジャスレイヤーの物語にはかなり多くのキャラクターが登場します。その一人一人にドラマがあり、人生があります。特にニンジャスレイヤーの世界観はたびたび【マッポーの世】と表現されるように決して楽園のような世界ではありません。貧困に沈む者、理不尽な暴力にさらされる者、不幸な人物を数えていてはきりが無い世界です。

しかし、そのような世界の中でも人々はささやかな幸福を願い生きています。そういった人々の温かみや人情もこの作品の大きな魅力であり、ネタ小説だと油断していると不意打ちな感動で泣かされてしまいます。

フジキド・ケンジの苦しみ

フジキド・ケンジは妻子の仇をとるためにニンジャスレイヤーとなり、復讐の戦いへと身を投じました。彼こそ、この作品の主人公です。

フジキドには妻子の仇という戦う理由こそあれ、彼のしていることは殺人以外の何物でもありません。殺人鬼へと身を落とし、復讐のためならば無関係な人間を殺してしまうこともあります。また、彼に憑依したナラク・ニンジャはたびたびフジキドの理性を乗っ取り殺戮の限りを尽くすこともあるのです。

フジキド自身、自分を身勝手な殺人鬼であることを自覚しつつも、人間性を失っていく自分の有様に葛藤することになります。

……俺の供えるセンコは、本当にフユコやトチノキの魂を慰めているのか……? 彼らはオーボンの夜にも還らなかった。俺は正しいのだろうか。俺は本当に、正気なのだろうか……

もしや俺の魂は、俺の中に憑依したあの謎のニンジャソウルと溶け合い、徐々にひとつになってゆくのではなかろうか。だとしたら……俺は……俺もまた……完全なるニンジャへと……

出典:【メリークリスマス・ネオサイタマ】『ニンジャスレイヤー ネオサイタマ炎上 3』p.41

そんなフジキドの周りにも、次第に仲間と呼べる人たちが集まっていきます。仲間たちとの出会い、あるいはすれ違い去っていった人々、そして数え切れないほどに殺してきたニンジャたちとの関係を通し、フジキド自身も成長し自己を確立していきます。

彼が抱いた強大な絶望も、燃え盛る憎しみも、葛藤も苦しみも、そして喜びやささやかな安らぎも、ニンジャスレイヤーという物語には決して欠かすことの出来ない中心的なテーマの一つです。フジキド・ケンジという一人の男の人生がそこにはあります。

ヤモト・コキの出会い

ヤモト・コキは作中屈指の人気キャラクターで女子高生のニンジャです。

ヤモトはシ・ニンジャに憑依されたことでニンジャとなり、彼女の日常は崩壊しました。友とも別れ、ひたすらに追っ手のニンジャから逃げ続ける孤独な逃避行が始まったのです。

出典:【ラスト・ガール・スタンディング #2】『コミカライズ ニンジャスレイヤー』

彼女はひたすらに孤独な存在です。彼女に襲いかかる運命は非情で過酷なものであり、たった一人の少女が背負うにはあまりにも悲惨という他ありません。

しかし、彼女は幸運にも良き人々と巡り会うことが出来ました。

ヤモトは逃避行の間に大事な人々と出会います。彼女が出会った人々は決して皆が善人というわけではありませんでしたが、彼女は出会った人々から本当に色々なものを受け取り、学び成長していきます。ヤモトは少しずつ、しかし確実に一歩一歩、成長を遂げていくのです。

ヤモトを主人公とするエピソードはいくつかありますが、そのどれもが作中屈指の素晴らしい完成度を誇っています。特に第1部【ネオサイタマ炎上】における【ラスト・ガール・スタンディング】と【スワン・ソング・サング・バイ・ア・フェイデッド・クロウ】の両エピソードは双璧をなす超人気エピソードです。

ヤモトの目的はフジキドのようにニンジャを殺すことではありません。幸せを願い、日常を守り、当たり前のように生きていくことこそが彼女の目的です。だからこそ、ヤモトが登場するエピソードは人と人との関係性や繋がりが重視されています。それがすごく心にしみて、涙がにじんでしまうのです。

ノー・カラテ、ノー・ニンジャ

ノー・カラテ、ノー・ニンジャとは作中における重要なテーマの一つです。カラテなくして、ニンジャにあらずというのは、カラテこそがニンジャの基本であり強さのバロメーターであるという意味です。

カラテとはいわゆる身体能力のことで体術全般を指します。いかに強力な特殊能力や兵器を有していたとしても、最終的に強者たり得る者はカラテを極めた者という設定がニンジャスレイヤーの世界観の根底に存在するのです。

しかし、カラテとは身体能力だけを指す概念ではありません。身体能力を純粋に高めた者は、次第に精神的な存在へとレイヤーを昇っていきます。このことに関して原作者の一人、ブラッドレー・ボンドは次のような発言をしています。

出典:2011年第1回エピソード人気投票 原作者【ブラッドレー・ボンド】のコメント

ニンジャスレイヤーにおける戦闘はカラテが一つの軸として展開します。ゆえに強者同士の戦闘であればあるほどに、それは身体能力を超えて精神的な戦いへと次元は移っていきます。戦う者たちの強い意志や覚悟、歩んできた人生や背負うものなど、精神的な強さがカラテを通して描写されるからこそ、そこに互いの精神がぶつかり合う一種の会話が成立するのです。ヒューマンドラマに挙げる理由がここにあります。

また、近未来のサイバーパンクを題材にした世界観においてもカラテには大きな意味が宿ります。全身を機械化したり意識や記憶すら操作できる世界において、【自己を定義するものは果たして何か?】という問い、これは永遠のテーマの一つではないでしょうか。

ニンジャスレイヤーの世界において、その答えの一つこそがカラテなのです。

出典:【マグロ・サンダーボルト #5】

だからこそカラテにはキャラクターの精神が宿り、そこにドラマが生まれるのです。これが非常に美しく、面白いと私は思うのです。

緻密に練られた世界観

ニンジャスレイヤーの世界観はギャグ以外の何物でもないと最初は誰もが感じることでしょう。ネオサイタマ然り、ニンジャ然り、誰がどう見てもギャグ小説です。

しかし読み進めていくと、怖ろしいほどに緻密な世界観に驚かされます。

正直、私はかなり驚きました。細かな設定が次々と連鎖して繋がり、ニンジャスレイヤーの広大な世界観が見え始めてきたとき、この作品の本当の面白さと、サイバーパンクを謳う意味を本当の意味で実感したのだと思います。

ニンジャとは?

ニンジャスレイヤーにおける最大の謎、というか根本的に湧き出てくる疑問は、【ニンジャってそもそも何なの?】ということに他ならないでしょう。いわゆるトンデモ設定かと思いきや、読み進めるごとにニンジャにも何か大きな秘密が隠されていることが判明していきます。ニンジャの謎を解明していくことも大きな醍醐味の一つであり、その秘密がうっすらと見えてくることで、私たちは緻密に練られている世界観を見せつけられることになっていくのです。

主人公のフジキドはナラク・ニンジャという謎のニンジャソウルに憑依されたことで一命を取り留め、ニンジャとなりました。ニンジャソウルとはかつて歴史上に実在していたニンジャたち、リアルニンジャたちの魂です。それが何らかの理由により現代の人間に憑依することで、人間をニンジャへと変質させてしまいます。

ニンジャとは何なのか、それを突き詰めればリアルニンジャとは何なのかという問いに行き着きます。かつて、遠い昔の過去に一体何が起きたのか、平安時代に何が起きたのか、なぜニンジャはキンカク・テンプルハラキリを行ったのか、そしてなぜニンジャソウルとして現代に復活したのか、すべてに意味があり、すべては繋がっているのです。決してトンデモ設定ではありません。

お馴染み、ニンジャスレイヤーの公式PVです。このトンデモ設定のような世界観に突っ込みや笑いのコメントも見えますが、ある程度物語を読み進めるとこれら全てが作品に関わる超重要な世界設定であることを理解出来ます。キンカク・テンプルとは、ハラキリ儀式とは、ニンジャソウルとは、それらの世界が見えてきたとき、私は本当に怖かった。なんでこんな物語が書けるのかと、本当にびっくりしたのです。

コトダマ空間とは?

人類は技術の発展により生体LAN端子を用いることで脳内とネットワークを直結する術を手に入れました。そして一部のハッカーたちは、ネットワークの彼方に誰がプログラムしたでもない不思議な空間が存在することを発見します。それがコトダマ空間です。

コトダマ空間では全ての情報が可視化され、あたかも物理的な世界にいるような錯覚を覚えます。しかしコトダマ空間を認識出来るハッカーはこの情報を自ら書き換えることで新たに定義し直すことも可能です。コトダマ空間では現実の物理法則は無視され、自分の思い描く世界を創ることが出来るのです。

ようはネットワークを介して直接脳内に届けられた情報を一つの世界として認識している状態で、バーチャルリアリティの一種と考えることが出来ます。ソードアート・オンラインにおけるVRMMOや、サマーウォーズのOZ、あるいはマトリックスのMATRIXなどを想像してもらうと分かりやすいでしょう。ただしコトダマ空間はこれらとは決定的に違う点がいくつかあり、それらの謎こそ、ニンジャスレイヤーの世界観に大きく関わってくることになるのです。

まず第一に、コトダマ空間は個人のイメージや特定の情報が可視化された世界にも関わらず、誰もが上空に浮かぶ謎の黄金立方体の存在を知覚出来ます。上空に浮かんでいる謎の黄金立方体は一体何を意味しているのか、なぜ誰もが同じものをイメージ出来るのか、これらの謎はストーリーに大きく関わってくる最重要のキーです。

そしてコトダマ空間におけるもう一つの謎がニンジャの存在です。

ニンジャの中にはネットワークを介さずに直接生身でコトダマ空間に到達出来る者がいます。これはかなり驚きの設定です。ネットワークの彼方に存在するはずのコトダマ空間になぜ現実世界のニンジャが到達出来るのか、この設定の意味するところにより、私たち読者はネットワークニンジャの定義を改めて考え直す必要に迫られるのです。

何か、何か大きな秘密がニンジャスレイヤーの世界には隠されていることに気がつき、トンデモ設定かと思っていたニンジャの認識を大きく切り替えなければ、先に進むことが出来ないのです。

ネットワークはいつからある?

上記のコトダマ空間はニンジャスレイヤーの世界観を解き明かす大きなキーワードの一つです。ではその背後にあるものは何かと考えると、タイトルにもある通り【ネットワークはいつからある?】という一つの疑問が表出してきます。

出典:【キョート・ヘル・オン・アース 急「ラスト・スキャッティング・サーフィス #2」】

この問いが投げかけられたとき、私はとてつもない衝撃を受けました。ニンジャスレイヤーはそういう方向性の物語なのかと気がついたのです。そう、ニンジャスレイヤーはサイバーパンクの物語です。

この問いは作品における一つのアプローチであり、世界観の全てを捉えたものではありません。しかし、その広大な入り口を私はここで認識することが出来ました。そのあまりに大きな世界観に驚きと興奮を、そしてそこにニンジャやネオサイタマを混ぜ込んでくる原作者の狂気を確かに感じ取ったのです。(最高の褒め言葉として)本当にバカでスゴイ作品だと私は思いました。

幾重にも重なり合うエピソード

ニンジャスレイヤーの物語は一話完結のエピソード単位で進行し、公開順序は作中の時系列とは一致しません。どこからでも読み始められることはこの作品の面白い特徴の一つです。

しかしそれ以上に、物語の視点がキャラクターすらも飛び越えて過去へ未来へと展開していく躍動感こそが、ニンジャスレイヤーの物語構成における最大の面白さだと私は思います。何気なく読んでいたエピソードが突如として、別のエピソードを起点にして全く違う面白さを見せ始めることもあるのです。

一つ一つのエピソードはそれだけで完結している物語です。しかし、それらはニンジャスレイヤーという大きな物語を小さく区切ったものでしかありません。読み進めるごとにエピソード同士は幾重にも重なり合い、それまでとは全く違う景色を読者に見せてくれることでしょう。

伏線に次ぐ伏線

エピソード間の繋がりや巧妙に配置された伏線を意識しながら読み進めていくことは、ニンジャスレイヤーを最大限に楽しむ一つの方法です。頭を空っぽにしてニンジャを楽しむのもいいですが、色々と頭の中で物語をこねくり回して考察することもまた楽しいことです。

特にその傾向は第2部【キョート殺伐都市】において顕著です。第2部では世界観の秘密が解き明かされる展開が多く、エピソード間の繋がりや連続性が強調された構成になっています。ニンジャとは何なのか、ザイバツ・シャドーギルドの目的とは何なのか、ロード・オブ・ザイバツのキョジツテンカンホー・ジツとは一体? 読み進めるごとに巧妙に張り巡らせた伏線が網の目のごとく読者の思考を掬い取っていきます。

そしてそれらの伏線が見事に収束していく様は圧巻の一言でした。クライマックスの盛り上がりに向けて次々と収束していく伏線の数々は読者にたまらないほどのカタルシスを与えてくれます。第2部最終エピソード【キョート・ヘル・オン・アース】はすごかった。あんなにも興奮するとは本気で思わなかったです。

左右のバランス

ニンジャスレイヤーの読者の間ではエピソードを評して【右に傾く】【左に傾く】といった形容をすることがあります。【このエピソードは右寄りだ】【やばいくらい左右に振り回される】などの感想を目にしたことがある方もいるでしょう。

これは作中に登場するタカギ・ガンドーの師匠の教えが由来で、右はシリアス左はリラックスを意味しています。ここからシリアスな展開を【右】、ギャグな展開を【左】と形容する習慣が生まれました。


出典:【リブート・レイヴン #3】

シリアス一辺倒、あるいはギャグ一辺倒な物語構成では左右のバランスは崩れてしまい、上記の教えのように綱を渡ることは出来ないでしょう。ニンジャスレイヤーはこの左右のバランスがとてつもなく上手く、シリアスな展開のもの、ギャグな展開のもの、その両方がほど良く構成されています。

この左右のバランスが取れていることで物語にテンポの良さが生まれてきます。シリアスな展開がずっと続いていては疲れてしまいますし、ギャグばかりでは飽きてしまいます。そして左右の概念が読者に根付いているからこそ、ジェットコースターのように左右に大きく振り切れるエピソードを思いっきり楽しむことが出来るのです。

数多くあるエピソードの中にはシリアスに分類していいのか、それともギャグに分類すべきか判断に迷うものがいくつかあります。これがまた本当に面白いのです。右に振られ、左に振られ、ジェットコースターのように視界はぐるんぐるんと空回りして頭脳は理解を拒みます。

ここまでの記事でちょっと真面目な話をたくさんしてきましたが、やはりニンジャスレイヤーの原作者は狂っているとしか言いようのないエピソードだってたくさんあるのです。でも、やがては左右のバランスが取られて安定することを知っているからこそ、安心して読むことが出来るのです。

最後に

結局のところ、ニンジャスレイヤーの面白さはこちらの期待をことごとく良い意味で裏切ってくれるところにあるのではないかと、私は思っています。

ネタ小説だと思い読み始めたものの、予想外に高い完成度の物語に度肝を抜かされます。かと思ったら、やっぱりネタ小説じゃねーのこれ! と思うことも、また頻繁にあるのがニンジャスレイヤーという作品です。

そういった左右のブレを楽しみ、そしてまた一方で、緻密に計算された世界観の謎をクソ真面目に考察したりすることがとにかくもう無性に楽しいのです。

そして最初にも述べましたが、この記事で書いたようなことは実際に読んでみることで初めて分かることだと思います。私はニンジャスレイヤーを読んでみてこんなことを感じました。しかし、あなたは違う感想を持つかもしれません。自分で小説を読み、物語に解釈を与えることで初めて感想として自分の中に形が出来るのだと思います。

ニンジャスレイヤーに興味を持っているあなた! 是非、このネタ抜きでマジに面白い作品を読んでみてはいかがでしょうか?