ニンジャスレイヤーフロムアニメイシヨンがひとまずの完結を迎えました。

これまで当サイトではアニメイシヨン各話の感想記事を書いてきました。中の人がここ最近とても忙しいので途中で止まっていますが、いずれきちんと書くつもりです。絶対にね。

全話書いた上で感想の総括をすべきなのでしょうが、最終話の視聴も済んだので先にアニメイシヨン全体の感想を書きたいと思います。

多様性とは何か

ニンジャスレイヤーという作品においては「多様性」という言葉を常に頭の片隅においておく必要があります。アニメイシヨンからニンジャスレイヤーを知った方もどこかでこの言葉を見聞きしませんでしたか?

では、多様性とは一体何なのでしょうか。感想を書き始める前に少しそのことを考えてみたいと思います。

多様性という言葉について紐解いていくと、2013年6月28日に行われた公式からのアナウンスが恐らくの初出になります。考え方は以前から存在していたと思われますが、頻出し始めたのはここからです。(私の事実誤認の可能性もあります。詳しい方いましたらご指摘お願いします。)

2013年6月の終わりはニンジャスレイヤーにおいてかなり重要な時期でした。と言うのも、2013年6月27日に無印版のコミカライズ開始、29日に初のオーディオドラマCD付き特装版物理書籍「ザイバツ強襲!」が発売、7月1日にグラマラス・キラーズのコミカライズ開始と、立て続けにメディアミックスが進行した時期にあたるからです。

この時期からニンジャスレイヤーは様々なメディアミックスを展開してきました。多彩なコミカライズ、ボリューム満点なドラマCD、よく分からないものまで売っているグッズ通販、ライブイベントやゲームとのコラボ、そしてアニメイシヨンなどなど、原作小説以外のニンジャスレイヤーが姿を現し始めたわけです。

以後、ニンジャスレイヤーの翻訳チームはことあるごとに「多様性」に関するアナウンスを繰り返してきました。多様性とは何か、それは先の引用にもある通り「唯一の表現手法を守るのは原作小説であり、二次的メディア展開の振れ幅と多様性は容認する」という姿勢に他なりません。この多様性を容認したことで、ニンジャスレイヤーはかなり自由気ままに各方面への進出を始めました。

それを象徴しているのが3種類のコミカライズです。

原作準拠な無印、乙女なグラキラ、少年なキルズ。全て同一作品を扱っているにも関わらずその方向性はてんでバラバラで、絵柄や作風、著者による独自解釈も含めてかなり自由な作りとなっています。しかし各作品には「ああ、これは間違いなくニンジャスレイヤーだな」と思える中心部分が確かにあり、作品としてのニンジャスレイヤーにはブレを感じさせません。

2014年7月9日、このことに関してマディソンおばあちゃん(翻訳チームのアカウントなどにたまに登場するキャラクター)からのアナウンスがありました。少し長いですが重要なところを部分的に引用したいと思います。

3つが3つ全部違う。でも全部ニンジャスレイヤー。それが原作者の求める多様性だよ!

多彩なメディアミックスが展開される中、常にこの姿勢を崩さずに貫いているのがニンジャスレイヤーという作品です。そしてなおのこと興味深いのが、マディソンおばあちゃんの最後の引用部分にあります。

無いよ!無いからさ、自分で好きに描いて頂戴!

ファンによる二次創作もニンジャスレイヤーにおいては多様性の在り方のひとつです。唯一無二の原典である原作小説を軸として守りながら、その周辺メディアには大きな自由を保障しています。その自由気ままな姿勢から生まれる周辺メディアの多様性こそ、ニンジャスレイヤーという作品の大きな魅力の一つとなっているのです。

しかし周辺メディアが増えれば増えるほど、個人の好みの問題が発生することは避けられないこととなります。万人受けする絶対のものを作るのではなく、多彩なジャンルによる多様性を目指したのだから当然のことです。それぞれの作品の中には好きになれるもの、また、そうでないものもきっと存在することでしょう。

ですが、私はこれをデメリットだとは考えません。

私たち読者には多様な作品の中から自分の好きなものを選び取る必要性、そして能動性が求められます。これはニンジャスレイヤーの特長であると私は考えています。自ら食指を伸ばして周辺メディアを調べたり、Wikiを読んだり、実際に原作小説を読まねば見えてこないものがあります。ツイッターの連載や実況、あるいは二次創作やファンアートも、積極的な行動を起こすことで出会える面白さがあるのです。

そして作品の多様性が富むということは、まだニンジャスレイヤーに出会っていない人への受動的な出会いを促します。たまたまニンジャスレイヤーのマンガに出会った、アニメに出会った、グッズに出会った、友達が変な日本語を使うようになった、町でニンジャを見た。そういった偶然な出会いは多様性の中から生まれてくるのです。

ただし、多様性は無制限に許されるものではありません。

限度やマナーはもちろんのことですが、最も重要で絶対にブレてはいけないものこそ「原作小説こそが原典である」という姿勢です。周辺メディアによるニンジャスレイヤーに対する入り口がどこであれ、その全ては唯一無二の原典である原作小説へと続かねばなりません。

そこが決して崩れてはいけないところなのだと、私は理解しています。

アニメイシヨンはニンジャスレイヤーなのか?

第1話が公開されたとき誰もが驚きと困惑を隠せずにざわついていたと思います。賛否両論が渦巻く中、私も混乱していたことは間違いがありません。

事前に公開されていたビジュアルとは異なるデザイン、アニメなのにアニメしていないFlash作画、15分弱という短時間に圧縮されたエピソード、要素をあげていけば切りが無いですが、その全てに共通するのは「誰もが予想していなかった展開」の一言に尽きるのではないでしょうか。

僕が、私が、想像していたのと違う! 何だこれは!? これはニンジャスレイヤーなのか!? そもそもアニメなのか!?

そんなことを感じた方も多いのではないでしょうか。アニメイシヨンを受け止められた人、受け止められなかった人、様々な人々の声でネットはまさにアビ・インフェルノ・ジゴクでした。それを眺めているだけでも面白かったのはヒミツです。

私自身は第1話の段階でアニメイシヨンがとても気に入り、最高に楽しめた口です。詳細は第1話の感想記事に書いていますが、私がアニメイシヨンを気に入った大きな理由は「演出や作画がどうであれ、間違いなくニンジャスレイヤーであった」という点に集約されます。

第1話視聴直後にTwitterで私はこう書いていました。

結果的に第1話直後に感じた「私はこれから半年間楽しみだ」という思いは現実となりました。半年間すごく楽しかったです。改めて、ありがとうアニメイシヨン!

一般的なメディアミックスにおいてアニメは一つのゴールです。大規模な予算や製作スタッフ、そして多くの関係者が携わるメディアの華です。しかし、ニンジャスレイヤーにおいてはアニメすらも周辺メディアの一つでしかなく、ゴールであるどころか原作小説へと至るスタートであると私は考えています。

であればこそ、アニメイシヨンに求めるものはニンジャスレイヤーとしての軸であり、原作小説へと続く道だと私は考えていました。その軸をどこに見出すのかは人によって違うでしょうが、私は第1話のラスト、ミュルミドンとニンジャスレイヤーのイクサの中に見出しました。

ニンジャを殺す。当然、オヌシを殺す。ソウカイヤのニンジャを全て殺す。……ニンジャを、全て殺す

あのセリフの中、私は震えるほどに感動し、そして確信しました。

間違いなく、これはニンジャスレイヤーだ!

そう思えたからこそ、私は今後の展開に期待することが出来ましたし半年間楽しむことが出来ました。そしてそれは最終話を見終わった今でも変わりません。第26話のフジキドの叫び。

Wasshoi! Wasshoi! Wasshoi! ニンジャ殺すべし。イヤーッ!

ラオモトへ最後の一撃を叩き込むフジキド渾身のあの叫び、あのシーンをアニメイシヨンで見られて私は本当に幸せでした。最終話まで見続けて心から良かったと思いました。

まあ、「このシーンはどうなのよ……」とか「今の演出はちょっと……」と感じたところも確かにあります。ですが、「こんなのニンジャスレイヤーじゃない!」という感想は一度も抱きませんでした。そしてそれはアニメイシヨンに限った感想ではなく、他のメディアミックスに関しても同じ感想は抱いています。

一方でアニメイシヨンはこれまでにはなかった新しい側面も見せてくれました。

映像と音声によるインパクトは小説やマンガ以上に劇的なものであり、強く印象に残ります。これまであまり注目していなかったキャラクターたちでも、動いてしゃべるだけでとてつもない衝撃がありました。第1話のオフェンダーとスキャッターは最高の事例でしょう。私としてはソニックブーム、ダークニンジャ、アガタ、あとロブ……などがすごく印象強く、原作小説以上の魅力を感じました。

また、へのこだわりはアニメイシヨンの大きな魅力です。声優の選択や演技、BGMや毎回変わるEDテーマ、そのどれもこれもが素晴らしくて私の中のニンジャスレイヤーの世界は大きく広がりました。毎週、「今度のEDはどんなのかな?」「あのセリフが早く聞きたいな!」「このBGMカッケェー!」とワクワクやドキドキが止まりませんでした。私はそこが一番楽しくて嬉しくて、そして感動したのです。音の持つ力は本当にすごい。

他にも色々と、アニメイシヨンだからこそ見ることが出来たニンジャスレイヤーの世界がありました。アニメイシヨンはまだ観たことないニンジャスレイヤーを私に見せてくれました。

だから私はアニメイシヨンが好きだと、素晴らしかったと、声を大にして言いたいと思います。

アニメイシヨンは終わりじゃない、ここからが始まりだ

アニメイシヨンは全26話で終わりました。ですが、私はここからが始まりだと思っています。

様々な評価が入り乱れる作品でしたがニンジャスレイヤーのミーミーは確実に広がりました。アニメイシヨンから原作小説を読み始めた方もいらっしゃることでしょう。その入り口を作ったことにこそ、アニメイシヨン最大の価値があるはずです。そして変な言い方かもしれませんが、アニメイシヨンはこれからのメディアミックスに強烈な先制パンチを繰り出したようにも思えます。

多様性を容認し、我々は自由にやる!

その姿勢を崩さずに一貫してきたのがニンジャスレイヤーという作品であり、これからもそうなのだという宣戦布告のようにも感じました。であればこそ、次のメディアミックスでは一体どんなものが登場するのか私は楽しみで仕方がありません。

そして多様性を謳う以上、今後アニメの分野でどう攻めていくのかも見物です。TV版はどうなるのか? 第2部はアニメ化するのか? 興味はそれだけではありません。コミカライズのように第2、第3のアニメ化が行われる可能性もありますし、私は行われるだろうと思っています。それが1年後か10年後か100年後かは分かりません。ですがその土壌はすでに多様性の中に存在します。

唯一の表現手法を守るのは原作小説であり、二次的メディア展開の振れ幅と多様性は容認する

その意味において、最初に登場したアニメがアニメイシヨンであったことは正解だったと私は思っています。あれだけ自由気ままな作品を送り出したのです。後から続くアニメがどんなものであっても心置きなく、そして身構えることなく、その作品と向き合えるような気がするのです。

これから先、どこまでニンジャスレイヤーの世界が広がっていくのか私はとても楽しみにしています。そしてもちろん、原典である原作小説からも目を離すことが出来ません。

書籍もついに第3部がスタートし、Twitter連載も第3部が佳境に入りつつあります。そしてついに、古代ローマカラテ最強の戦士スパルタカスvsニンジャスレイヤーの一騎打ちが幕を上げました。二人の男の決闘がどのような結末を迎えるのか、また、磁気嵐の消え去ったネオサイタマが今後どうなっていくのか、楽しみは増していくばかりです。

原作小説こそが不可侵の原典です。

アニメイシヨンからニンジャスレイヤーに興味を持った方、是非読んでみてください。きっとアニメイシヨン以上に面白い世界がそこに広がっているはずです。