著者の星野道夫は動物写真家として活動し、1978年から1996年の18年間、観光旅行では決して見ることのできない広大なアラスカの原野を旅していきました。本書『旅をする木』は、その旅の中で感じたことを文章に綴ったエッセイ本となります。

ブルックス山脈の未踏の山や谷を歩き、氷河のきしむグレイシャーベイをカヤックで渡り、オーロラの浮かぶ空の下でテントを張って一夜を過ごす。何千、何万ものカリブーが群れで旅する季節移動を追い、人知れず森へと還っていく朽ちたトーテムポールを探し求め、ルース氷河の源流で子どもたちと満天の星空を見上げる。そんなたくさんの旅の物語がこの本には書かれています。

あの頃、ぼくの頭の中は確かにアラスカのことでいっぱいでした。まるで熱病に浮かされたかのようにアラスカへ行くことしか考えていませんでした。磁石も見つからなければ、地図も無いのに、とにかく船出をしなければならなかったのです。
『旅をする木』p.13

ページをめくりながら著者の旅路を一歩ずつ読み進めると、現代社会に暮らす自分にはなかなか知る機会もない広大な自然が目の前に浮かんできます。頬を撫でる穏やかな風も、皮膚を貫く冷たい風も、まるでその場に自分が立っているかのように感じられました。

語りかけるように綴られる文章は美しく、著者の誠実な人柄がひしひしと伝わってきます。過酷な旅を続ける行動力や忍耐力、豊富な知識や鋭い感性、そしてユーモアを兼ね備えた、ひとりの旅人の姿が本書の最大の魅力です。

エッセイは全部で33編収録されています。一度に読破してもいいですし、毎日少しずつ読み進めるのも楽しいと思います。区切りをつけて読みやすいので、普段あまり本を読まない方にもオススメしたい一冊です。

著者は旅を続けながら「自然との関わり方」について常に考えていました。生きることの喜びと死ぬことの意味を、原野を旅する経験から生まれたたくさんの言葉で綴っています。そこには芯の通った誠実な姿勢が垣間見え、現代社会で生きる私が忘れてしまった何かを思い出させてくれたような気がしました。自分の暮らすこの世界に、星野道夫が見てきた世界があるという事実が、私に勇気をくれるのです。

これまで読んだどんな本よりも、『旅をする木』の文章が一番美しいと私は感じています。

ただの旅日記では終わらない最上質のエッセイ作品です。ぜひ、多くの人にこの本を読んでもらいたいと願っています。