表紙の熊から目が離せない『怖い熊 傑作アンソロジー』
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昨今、住宅地での熊の目撃情報や被害などが多発しており、あまり良くない方向で熊と人間の距離感が近くなっています。どうすれば熊と人間の良好な関係を保てるのか、そんなことをぼんやり考えてみると、熊について私は何も知らないということを思い知らされます。
私が暮らす地域には熊がいません。せいぜい、狸が道に飛び出してお互いにびっくりするくらいの自然環境です。だから、「あの茂みの奥に熊がいるかも」といった恐怖を感じたことはありませんし、もちろん直接見たことは一度もありません。知識として理解はしていても、私にとってはどこか空想的な遠い存在なのが熊という生き物でした。
書店で本書『怖い熊 傑作アンソロジー』を見つけたとき、表紙の一頭の熊と目が合いました。じっとこちらを見つめる熊と真っ赤な文字から目を離すことができません。恐怖や好奇心と言うよりも、「目を離してはいけない」という本能的な何かを感じたのです。これは、とても良い表紙だと思いました。
本書は熊に関するノンフィクションや事実に基づく小説を集めたアンソロジー作品です。全15編の短編物語が収録されており、いずれも「熊が人を襲う」という怖い内容になっています。熊に殺害されたり捕食される描写があるので、スプラッターが苦手な方はお気をつけください。
熊を狩るマタギの話しや、日本史上最悪の獣害である三毛別羆事件、私の好きな動物写真家・星野道夫の死など、様々な形で熊の怖ろしさが描かれています。これらの物語を読んで強く感じたことは、やはり生物としての格の違いでしょうか。圧倒的な体躯と牙や爪という武器を前にして、いくら人間がスプレーやライフルで武装していても、いとも容易く人間の命は狩られてしまいます。
生きたまま喰われるという情景を想像してしまうと肝が冷える思いです。特に私が怖かったのが、福岡大学ワンダーフォーゲル部ヒグマ事件を題材にした著・羽根田治の『日高・カムイエクウチカウシ山のヒグマ襲撃事件』でした。
1970年、登山中の大学生5人のグループが熊に襲われて、3人が死亡した事件です。何度追い払っても執拗に大学生たちにつきまとい、次々とメンバーが殺害されていく情景は想像を絶する恐怖でした。ほんの少しの判断ミスが重大な結果に繋がってしまった不運な事件ですが、2026年の今、これが山中ではなく街中で起きる可能性にも私は恐怖します。
熊の生息域に人間が立ち入って事故が起きるのではなく、人間の生息域に熊が立ち入って事故が起きています。舗装された道の曲がり角で、ふとスマホから目を上げたら熊がいる、そんな現実がもう目の前にあるのかもしれません。熊が悪いわけでも、人間が悪いわけでもないと思うのですが、不幸な事故は起きて欲しくはありません。
けれども、熊がいなくなれば良いという単純な話しでもありません。著・スティーヴン・ヘレロは『星野道夫の死』の中で星野道夫の次の言葉を紹介しています。
もしもアラスカ中にクマが一頭もいなかったら、ぼくは安心して山を歩き回ることができる。何の心配もなく野営できる。でもそうなったら、アラスカは何てつまらないところになるだろう。
『怖い熊 傑作アンソロジー』p.414より
野性の地に熊が生息しており、その気配に本能的な恐怖を感じることができる。それがどれだけ貴重で人間にとって価値があるのか。星野道夫だけではなく本書の数々の物語が訴えかけてくるようです。自然に対する畏怖や尊敬、憧れや信仰など、熊は恐怖以外の感情も人間に与えてくれます。
今一度、熊の「怖い」ところを、本書を読んで感じてみてはいかがでしょうか。短編アンソロジーなので、切りよく読み進められるのも良いところですし、古今東西の物語を読めるのもオススメしたいところです。
そしてやっぱり表紙が良い。とても、良いです。

